2008年12月15日
川久保の炭焼窯跡
農地里山の景観
川久保の林道を歩いていると、炭焼窯と水車小屋の跡を見つけました。
炭焼窯は、町に薪炭を売りに行っていた名残、そして、水車小屋は線香を作っていた名残だそうです。
水車小屋では、戦前は杉の葉を破砕して線香の材料としていましたが、戦時になって、蓄電池の外槽(電槽)用のエボナイトを作って湯浅電池などに納入していました。
戦中に、水車小屋の操業者に召集令状が来て、入営したのですが、代わりの人がいないので水車小屋の操業が停止してしました。
しかし、軍需用のエボナイトの供給が止まり、困った湯浅電池が、軍部の上層部に頼み込んだ結果、操業者は即刻除隊、帰郷となりエボナイトの生産が再開されたそうです。
撮 影 日 2008年9月6日
撮影 場所 川久保(地図)
投 稿 者 ひらお
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Posted by 高槻市
at 08:17
│Comments(3)
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思っていたのですが、地域的にも近いので同様の物と考えてもいいみたいですね。
数年来の疑問が解けました。ありがとうございます。
日本の水車には、揚水に使うものをはじめ、精米や和紙製造、そして、製材や線香、また、エボナイト粉の製造に使われている水車が全国にあるようです。
(参考)水車と風土 編著者 平岡昭利
また、VG槻輪さんのHPにも、このエボナイトや線香の製造に関する記述があり、その「島本町~尺代」の報告の中に、
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明治初年尺代において、杉の葉を乾燥し水車を利用して蚊取り線香の原料を製造したことに始まる。
線香納屋が建てられ、安住という会社が経営していた。また製粉、精米等を営んでいた。
昭和に入ってエボナイト(バッテリー)を粉末にして再生するようになり、電池会社の下請けとして十数軒がこれに従事した。
http://web1.ibj.co.jp/~kirin/f/2006/04_01_04.htm
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というのがありました。
なかなか、勉強になりました。。ええ記事ありがとうございました。
島本町尺代先の水車小屋には、今なお崩れた建物や、プーリー・シャフトなどの機械も残っているそうですね。
一度見に行きたいです。