2008年06月25日
どぶろく酒米の田植え(序章)
農地里山の景観
どぶろく酒米田遠望
春から夏にかけての水田と、そこに生きる人々の暮らし…。
失われつつある日本の伝統的原風景とも云える、 “高槻・原の集落” は未来に残したい市民の財産ではないでしょうか。
代掻(しろか)きされた田圃
昭和17年3月に発表された文部省唱歌 “田植” は、原集落と同じような農村の風景の中で幼少年時代を過ごした小生にとって、この歌と共に忘れることのない大切な“心の中の原風景”である。
そろた 出そろた さなえが そろた
植えよう 植えましょ み国のために
米はたからだ たからの草を
植えりゃ こがねの花が咲く
田植えの時期ともなれば、いや応なしに家族総出で、親戚の手も借りて…。一つ一つ苗を植えた。大人でも楽でない仕事を、遊び盛りの小学生が、泥田の中で、 “ヒル” を恐れ、時には泣きながら頑張ったものである。終わった後に “ごちそう” が食べられる事を唯一の楽しみにして…。
撮 影 日 2008.6.14
撮影 場所 原(地図)
投 稿 者 原春二
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Posted by 高槻市
at 08:12
│Comments(3)
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私は経験がないので足手まといでしょうからせめて見学でもと思ったのですが、都合が付きませんでした。
田植えの歌は知りませんでした。
こんな歌を歌いながら田植えをするんですね。
私が幼い頃は、親戚が農家でご馳走だけは一緒に食べたような気がするのですが、それすらうろ覚えです。
親戚も総出で何かをするということがだんだんなくなってきましたね。
辛い労働には、歌がつきもの、辛さを軽減する知恵でしょうか。それが民謡にまでなったものもあることでしょう。
きつい労働でしたが家族や近所の助け合いがありました。働き手が病気でもすれば、近所の人が田植えを手伝いました。
田植えの後は「田休み」。朝は朝星、夜は夜星と働く農家にとって、束の間の休息でした。
私の実家では、5月のゴールデンウイークの頃が田植えでした。就職してサラリーマンになり、ゴールデンウイークには帰郷しましたが、田植えが待っていました。
8月の夏休みにも帰郷しました。今度は稲刈りが待っていました。
ああ無情!
今では、田植えでも、稲刈りでも、農機を扱うひとがポツリ、ポツリ。淋しい風景です。
民謡を研究なさっている方に伺いましたが、昔は仕事を歌で覚えたとか。
歌の呼吸や節まわしと一緒に作業する。
歌は産業と共にあったというお話でした。
たまに田んぼに行くだけではなく、生業として農にかかわることは大変な事と思います。
歌は欠かせなかったのかもしれませんね。
生で聞いてみたいものです。