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2010年02月04日

昔の寒天製造風景その2

農地里山の景観

昔の寒天製造風景その2

釜の焚き口です。この頃は重油で焚いていましたが、本来は火力の強い松の薪を使っていました。薪が手に入らなくなったのです。

昔の寒天製造風景その2昔の寒天製造風景その2

煮汁が寒天の船で凝固され、簀の子の上に干される時を待ちます。

昔の寒天製造風景その2
 ↑西之川原の寒天干しの様子

田んぼ一面に干された寒天です。製造業者が一番気にかけるのは、 干された後の夜の気温です。
絶対に0度以下に下がり、凍てつくのが一番の条件です。凍てついたまま、翌日の太陽で水分を蒸発させるのです。

凍てなければ、みんな腐ってしまい、すべてを捨てることになります。

昔の寒天製造風景その2昔の寒天製造風景その2

見事に乾燥し、出来上がった寒天が倉庫に収められます。箱に収納され,出荷されるのです。ここまでくるのに1ヶ月かかります。

てんぐさの搾りかすは、田んぼの肥やしになります。このだんごを崩して一面に撒かれます。その匂いのものすごいこと、ハンカチで鼻を押さえないととても臭くて近寄れません。

本来はそういう海藻から、すばらしい製品ができるのです。

撮 影 日  1983年
撮影 場所  原(地図
         西之川原(地図
投 稿 者  古藤幸雄

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昔の寒天製造風景その2



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Posted by 高槻市  at 08:11 │Comments(3)

この記事へのコメント
投稿者:kimama
おはようございます。

3番目の写真が田んぼの肥やしになる搾りかすでしょうか。
下から2つ目がすのこの上で干されるのを待つとこですね。

私の子どものころは、寒天といえば棒状のものだったのですが、
今はパウダーも出ていますね。
わが子の給食のレシピに、糸寒天が載っていた時、知らなくてびっくりしました。

ネットで調べたら、「粉寒天、角寒天、糸寒天」とありました。
それぞれに適した用途があるようです。

寒天を作ったあとの搾りかすのにおいのことなど、写真だけではわからないことも説明くださってありがとうございます。
2010年02月06日 09:35
投稿者:魔女っこ
古藤さん 前回はいろいろと教えて下さりありがとうございました。
楽しみにしていたシリーズ2のコメントが遅くになり失礼いたしますm(--)m

テングサがいよいよ寒天と変身する最終章ですね、その過程が繋がって分かる写真があることにまずは驚きました(@。@)

>田んぼ一面に干された寒天です。製造業者が一番気にかけるのは、 干された後の夜の気温です。
絶対に0度以下に下がり、凍てつくのが一番の条件です。凍てついたまま、翌日の太陽で水分を蒸発させるのです。

土曜の夜から降り出した雪で昨朝は我が家もあたり一帯が真っ白でした~。(早朝から用で出かけましたが、茨木の太田に入るとあまり積雪は無くて^^;)もし寒天干しをしていたら…寒天に雪がかぶるときっと使い物にはならないのでは。
冬場は太陽がサンサンと照るわけもないし、そうなると干している寒天を降雪する前に取り込んでと、これまた大変な手間でしょうね(><)

>本来はそういう海藻から、すばらしい製品ができるのです。
このコメントにすべてが凝縮されているようで私はハッとさせられました。
こういうものを作った昔の人の知恵の結晶なるもの、それと自然の恵み、それを今あたりまえのように頂いてる私でございます。
2010年02月08日 12:38
投稿者:古藤幸雄
Kimamaさん、魔女っこさん、コメント有り難うございます。
寒天の製品に粉寒天があることは知りませんでした。服部地域では主に細寒天を製造していました。角寒天は乾燥しても5cm×3cmもある太いもの、生のときはその数倍もあり、取り扱いが難しいことと乾燥に時間がかかることで、あまり作られていませんでした。しかし、角寒天は江戸時代は輸出用で、長崎に送られ、幕府の収入にもなっていました。
外国では薬製造に使われたそうです。
寒天製造に要するテングサは相当な量を必要としました。これは和歌山や伊豆地方の漁村の女の仕事、海に潜って夏よりも秋冬に採取したそうです。それが大坂の問屋に送られ、業者はそこから高値で買っていたのです。大坂3町人の一人、尼崎又右衛門は農民に多額の資本を貸し与え、中間搾取し、大いに栄えました。もちろん幕府は又右衛門から莫大な献金を受けていました。
海藻は匂いのきついもの、それが心太になっても臭みは変わりませんが、寒中の冷気に晒し、乾燥させると臭みが消え、すばらしい食品になるのですね。
寒天は完全に乾くまでよしずに干されたまま、雪が降っても収納したりしません。雪が解け、再度乾燥するまでそのままで待ちました。雪より雨が降ると大変でした。ところてんは腐ってしまいます。
私が子供の頃は、宮之川原や塚脇、西之川原などで水車が廻り、テングサを踏み砕く杵が5つ、6つ並んだ石臼に順番に音を立てて動いて行く姿が見られました。
搾りかすは天場の脇に山と積まれ、牛糞のような感じでした。臭さは海藻独特のもの、干場に田んぼを提供する地主は、田の賃貸料と肥料を確保し、次の稲作りに備えたのです。
寒天屋に薪を売って生活する山の民は、山持ちから雑木林を買い取り
グヌギ、なら、樫などの木を伐採して薪にして、納品していました。
「上の口」の道沿いに残る雑木、雑木林の中に道路が切り開かれ、路肩にクヌギなどが残ったのですね。戦後山は杉、檜など商品価値の高い木々が植林され、雑木は見向きもされなくなったのですが、燃料として活用されていた時代には、結構貴重にされていたのですね。
それにその時代は花粉症も無く、山林が伏流水、良質の地下水の供給源にもなり、クヌギ林は大いに役立っていたのですが、、、
2010年02月14日 15:39
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