2009年03月23日
古代難波の筑紫津を偲ぶ「筑紫津神社(つくしつじんじゃ)」
寺社の景観

筑紫(九州)からやってきた素盞鳴尊がこの地に泊まり旅の安全を祈願しました。
素盞鳴尊を敬った土着住民が「津」を頂き道祖神に筑紫津神社と命名して鎮守としたのが神社の始まりとか…。


神話の世界と現実の世界が混在した歴史ロマンです。
芥川の水に因む江をつけ周辺一帯を「津之江」と呼ぶ起源になったそうです。難波から淀川を遡って、山崎までの手前に三島(高槻)があり、此処に筑紫津神社が鎮座していることは、まさにこのあたりが筑紫津だったのでしょう。
古代難波の筑紫津を偲んで見るのも楽しいものです。
撮 影 日 2009年2月21日
撮影 場所 津之江町1丁目(筑紫津神社)(地図)
投 稿 者 銭無のとっつあん
↓ランキングに参加してます☆是非一日ワンクリックお願いします♪m(__)m

Posted by 高槻市
at 08:05
│Comments(4)
この記事へのトラックバック
素盞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られている。築紫からやってきた素盞鳴尊がこの地に泊まり旅の安全を祈願した。
高槻市津之江の「筑紫津神社」【日々是好日 とっつあんの雑記帳】at 2009年03月23日 10:35
この記事へのコメント
投稿者:Kawakatu
トラックバック感謝いたします。筑紫津神社と今城塚古墳に用いられた阿蘇ピンク石石棺、つまり九州と三島は阿蘇の凝灰岩によってつながっていることになりますね。継体さんと江田船山古墳の被葬者につながりがあったことになるでしょう。
筑紫津神社へは二度参っており、そのさいの記事が私の別ブログにありますので、リンクを張っておきます。
http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/265.html
http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/83.html
2009年03月23日 17:11
投稿者:上ひら
筑紫津神社、私は1度だけ行きました。池が前にあって、ちょっとだけ、水の神様っぽい感じはしました。Kawakatuさんはじめまして。ブログも拝見させていただきましたよ。
とっつあんさんとKawakatuさんに触発されて、私も筑紫津のこと、すこし調べました。むっちゃ面白い記事を見つけましたので、ご紹介しまーす。
(淀川に筑紫津…… なぜ? 04.07.22読売新聞九州)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/002/da_002_04072201.htm
Kawakatuさんのブログにもありましたが、今城塚古墳からは、阿蘇ピンク石の石棺片が200点以上も出土しているそうです。九州から来た阿蘇ピンク石棺も、この筑紫津を通っていったのでしょうね。。。
2009年03月23日 22:26
投稿者:せいろう
上ひらさん、面白いHPの紹介ありがとうございます。筑紫津前後のことも知りたいので、一先ず「お気に入り」に確保しました。津之江は、初めて自分の家をもった土地。出産子育ての地。小さいながらも自治会をもち、連合自治会に加わり津之江・如是地区のことを学んだ土地。
筑紫津神社改築祝賀の稚児行列に子供たちを参加させてもらい、自治会役員として祭礼には挨拶に行きましたが、神社の由来について何も知りませんでした。
筑紫津神社─筑紫津─筑紫─加羅(韓)と、繋がるわけですね。
先だっての服部のように朝鮮半島の文化の恩恵を受けて日本は発展しましたが、一方では戦もしています。
私たちの住まいでも、お隣同士は、助け合いもしますが、ライバル心も激しいわけで、かつて知恵者が「カラーテレビはカラーアンテナで!」てなことをいって拡販しました。電波に色の好きずきはありませんのに!(^^)!
老婆に「生涯で一番ショックだったことは?」と尋ねると、即座に「隣に倉が建ったこと」と言った。という話を、何かの折に聴きましたが、結局、人間は身近な人と比較して幸福感を味わっているんですね。(悪魔が囁きます「人の不幸ほど美味しいものはない」)
ところで、今日10時からWBC決勝戦。韓国だけには負けたくない! 日本だけには負けたくない! そねぞれ思っていることでしょう。 私はやはり日本に勝ってほしいですが、応援姿も勝ってほしいものです。
メジャーの試合を観ても、アメリカの野球文化にはいつも感心しています。
2009年03月24日 05:23
投稿者:Kawakatu
HPもよろしく~ランクリしておきます。
2009年03月28日 09:02
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。