高槻のええとこブログ
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2008年12月29日
野見神社境内の石碑
寺社の景観
野見神社
境内に祭られている護国神社の傍に建てられている石碑・・
平たい石碑の上部に丸い穴が空いており、また「萬歳」と彫られています。
この石碑の由来を聞きいても詳しいことは判りませんでした。
撮 影 日 2008年10月12日
撮影 場所 野見町(
野見神社
)(
地図
)
投 稿 者 Kei
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Comments(15)
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この記事へのコメント
投稿者:
野見神社神主
御参拝ありがとうございます。
こちらの石碑は、前の社殿建て替えの時にご寄付いただいた
大阪市の個人に感謝の石碑として建てられました。
前の社殿や本殿前の燈籠などを大正時代に建立され、お一人でご寄付されたとのことが裏面に書かれております。
2008年12月29日 14:22
投稿者:
kei
野見神社神主様ご親切にコメント有難うございます。
後日参拝した時には拝見させていただきます。
2008年12月29日 22:44
投稿者:
せいろう
講座で、文化財スタッフの会の方に案内してもらってから、野見神社境内に魅せられました。やはり知識のある方に案内していただきますと値打ちが違います。
ことに永井神社の唐門は素晴らしいですね。蛙股は有名寺社のそれの劣らないと思います。
今回の石碑もデザインが変わっていましたので、気になっていました。建立経緯は分かりましたが、何故丸い穴を開けた意匠にしたのでしょう?
古い物には、現代では作れないような技を感じますと同時に、何故という興味が尽きません。
2008年12月30日 16:40
投稿者:
小松康男
Keiさん
せいろうさん
わたしの臆解をお知らせします。
この石碑が
①護国神社の傍らにある。
②碑面にまるい大きなアナがあいている。
③碑面に「万歳」と彫られている。
この3項目が解釈の拠り所になります。
護国神社とは軍国精神に由来する神社ですね。「まるいアナ」の形は「環(かん)」です。この「環」は「帰還」の「還」と音が通じます。「万歳」とは安らかに長寿に達するという祝賀の言葉ですね。
上の解釈を総合すると次のとおりです。何ともおくゆかしいモニュメントに思います。
「日本のお国のために高槻の地から外国に出征 する兵士たちよ、どうか出征先から無事に高槻 に帰ってきてほしい。抜群の手柄を立て、長い余 生を安楽に暮らせるように!」
年で言えば1年おくれのコメントになりますが、ご参考までに。
次に野見神社にお参りする時、石碑の裏彫りの文字を見て、臆解を診断してみます。
2009年07月17日 05:20
投稿者:
上ひら
小松さんの解釈、すっきりで納得です。教えていただいてうれしいです。次に野見神社に行くときに楽しみが増えます。
この石碑は、神主さんによると、大正時代の社殿建て替えの時の石碑だそうですから、息子さんとかが、第一次世界大戦に出征されたのでしょうか。
小松さん、石碑の文字の読解、楽しみにしています。
2009年07月17日 08:08
投稿者:
kei
小松さん
ご親切な説明有難うございました。
出征兵士に対する切なる思いが感じられます。
石碑の文字の解説、待っております。
2009年07月17日 10:49
投稿者:
銭無のとっつあん
私は少し違った見方をしています。
穴が明いている眼鏡石は、遠く望むためのもの、つまり「遥拝石」だと思います。
「萬歳」と書かれていることから、恐らく皇居を遥拝する場所に建てられたのでしょう。
護国神社(1939年)との関係は、この石造物が建立された当時は「招魂社」であって、まだ軍国主義との関係はなかったと考えられます。
2009年07月17日 13:25
投稿者:
上ひら
こんにちは。
とっつあんさんが、書いてらっしゃるとおり、地方の招魂社は一斉に1939年(昭和14年)護国神社になっています。
ただ、全国にたくさんある「招魂社」は明治維新くらいから全国にできていて、国家のために殉難した人達を奉祀していますので、殉職した出征兵士を偲ぶものなのかも?って思います。
で、この野見神社の石碑がなんのために建てられたのか?については、よくわかりませんが、とっつあんさんの「皇居遥拝説」、小松さんの「出征兵士無事に帰ってきて説」、そして、「殉職兵士奉祀説」もありうるし、神主さんの文章からは、単に「寄付していただいた人への感謝の碑」なのかも知れません。
でも、大正時代に穴が開いているこの眼鏡石。このモニュメントにこめられた「心」はなんだったのかな?って興味あります。
ぜひ、教えてください。解読と解説、首をながーくしてお待ちしています&期待しています。m(_ _)m
2009年07月17日 14:25
投稿者:
Kei
銭無のとっつあんさん
解説有難うます。
皆さんのコメントを読ませて頂き、石碑一つ(失礼ですがご容赦を)にしてもいろいろな謂われや歴史やが有る事を痛感しました。
上ひらさんの云われるように解読と解説を待っております。
2009年07月17日 18:51
投稿者:
せいろう
小松さんはじめ皆さん、ありがとうございます。
石碑のデザインには、そういう意図があるんですね。遥拝、奉祀、願望、いずれにしましても、強い念いを感じるデザインですね。
歴史は、あれこれ思いを巡らすのが華で、解ってしまえば興味がうすれます。
でも、やっぱり真実を知りたい!
裏彫りには、いったいどんな事をかいているのでしょう?
期待しています。
2009年07月18日 05:48
投稿者:
emuemu
この石碑の由来、とても興味深いです。
とてもきれいな円形ですよね。
私は津之江の筑紫津神社境内にある日露戦紀命の石碑(明治39年に建立)を見てから石碑=「心」のように思いがちですが、
完全にくり貫かれた円を見ながらとっつあんのご意見の遥拝する為のものかもしれないとも思いました。
せいろうさんと同じく歴史は真実が判らないうちが華ですが、この石碑にどんな気持ちが込められていたのか知りたいです。
2009年07月18日 12:55
投稿者:
emuemu
とっつあんさん
上記のコメントにて敬称が抜けてしまい、申し訳ございませんでした。
2009年07月19日 14:10
投稿者:
銭無のとっつあん
石碑の建立は、大阪市の竹原友三郎さんの寄付に対する感謝のためのようです。
しかし、竹原さんの寄付の趣旨の一つに、天皇御即位大礼記念とありました。
また、表面の、竹原氏本人の筆による「萬歳」は、当然下々にたいしてではなく、天皇に対してのお祝いの言葉です。
かって中国では「萬歳」は皇帝だけへの言葉です。
あとは、皆さんの解釈にお任せします。
2009年07月23日 13:00
投稿者:
小松康男
錢無のとっつぁん:
高説にすこぶる有利な文字が現碑に見られてよかったですね!
「天皇御即位大礼記念」の9文字が眼にあざやかなことでしょう!
コメント記入諸子:
このコメントが休眠半年後の11番目となります。他にもこのように「門前市をなす」事例を発掘して画面をにぎにぎしくしていきましょう!
2009年07月24日 06:14
投稿者:
emuemu
とっつあんさん、詳しく教えて下さり有難うございます。
「萬歳」はお祝いの言葉だったのですね。
「心」の全ては判りませんが、私の想像していた「心」とは違い、明澄な感じがします。
そして小松さんのコメントを見せて頂いて、ええとこブログさんがもっと楽しくなりました。
このコメントは12番目ですね。
有難うございました。
これからもにぎにぎしく!是非ご一緒させて下さい。
2009年07月24日 23:04
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こちらの石碑は、前の社殿建て替えの時にご寄付いただいた
大阪市の個人に感謝の石碑として建てられました。
前の社殿や本殿前の燈籠などを大正時代に建立され、お一人でご寄付されたとのことが裏面に書かれております。
後日参拝した時には拝見させていただきます。
ことに永井神社の唐門は素晴らしいですね。蛙股は有名寺社のそれの劣らないと思います。
今回の石碑もデザインが変わっていましたので、気になっていました。建立経緯は分かりましたが、何故丸い穴を開けた意匠にしたのでしょう?
古い物には、現代では作れないような技を感じますと同時に、何故という興味が尽きません。
せいろうさん
わたしの臆解をお知らせします。
この石碑が
①護国神社の傍らにある。
②碑面にまるい大きなアナがあいている。
③碑面に「万歳」と彫られている。
この3項目が解釈の拠り所になります。
護国神社とは軍国精神に由来する神社ですね。「まるいアナ」の形は「環(かん)」です。この「環」は「帰還」の「還」と音が通じます。「万歳」とは安らかに長寿に達するという祝賀の言葉ですね。
上の解釈を総合すると次のとおりです。何ともおくゆかしいモニュメントに思います。
「日本のお国のために高槻の地から外国に出征 する兵士たちよ、どうか出征先から無事に高槻 に帰ってきてほしい。抜群の手柄を立て、長い余 生を安楽に暮らせるように!」
年で言えば1年おくれのコメントになりますが、ご参考までに。
次に野見神社にお参りする時、石碑の裏彫りの文字を見て、臆解を診断してみます。
この石碑は、神主さんによると、大正時代の社殿建て替えの時の石碑だそうですから、息子さんとかが、第一次世界大戦に出征されたのでしょうか。
小松さん、石碑の文字の読解、楽しみにしています。
ご親切な説明有難うございました。
出征兵士に対する切なる思いが感じられます。
石碑の文字の解説、待っております。
穴が明いている眼鏡石は、遠く望むためのもの、つまり「遥拝石」だと思います。
「萬歳」と書かれていることから、恐らく皇居を遥拝する場所に建てられたのでしょう。
護国神社(1939年)との関係は、この石造物が建立された当時は「招魂社」であって、まだ軍国主義との関係はなかったと考えられます。
とっつあんさんが、書いてらっしゃるとおり、地方の招魂社は一斉に1939年(昭和14年)護国神社になっています。
ただ、全国にたくさんある「招魂社」は明治維新くらいから全国にできていて、国家のために殉難した人達を奉祀していますので、殉職した出征兵士を偲ぶものなのかも?って思います。
で、この野見神社の石碑がなんのために建てられたのか?については、よくわかりませんが、とっつあんさんの「皇居遥拝説」、小松さんの「出征兵士無事に帰ってきて説」、そして、「殉職兵士奉祀説」もありうるし、神主さんの文章からは、単に「寄付していただいた人への感謝の碑」なのかも知れません。
でも、大正時代に穴が開いているこの眼鏡石。このモニュメントにこめられた「心」はなんだったのかな?って興味あります。
ぜひ、教えてください。解読と解説、首をながーくしてお待ちしています&期待しています。m(_ _)m
解説有難うます。
皆さんのコメントを読ませて頂き、石碑一つ(失礼ですがご容赦を)にしてもいろいろな謂われや歴史やが有る事を痛感しました。
上ひらさんの云われるように解読と解説を待っております。
石碑のデザインには、そういう意図があるんですね。遥拝、奉祀、願望、いずれにしましても、強い念いを感じるデザインですね。
歴史は、あれこれ思いを巡らすのが華で、解ってしまえば興味がうすれます。
でも、やっぱり真実を知りたい!
裏彫りには、いったいどんな事をかいているのでしょう?
期待しています。
とてもきれいな円形ですよね。
私は津之江の筑紫津神社境内にある日露戦紀命の石碑(明治39年に建立)を見てから石碑=「心」のように思いがちですが、
完全にくり貫かれた円を見ながらとっつあんのご意見の遥拝する為のものかもしれないとも思いました。
せいろうさんと同じく歴史は真実が判らないうちが華ですが、この石碑にどんな気持ちが込められていたのか知りたいです。
上記のコメントにて敬称が抜けてしまい、申し訳ございませんでした。
しかし、竹原さんの寄付の趣旨の一つに、天皇御即位大礼記念とありました。
また、表面の、竹原氏本人の筆による「萬歳」は、当然下々にたいしてではなく、天皇に対してのお祝いの言葉です。
かって中国では「萬歳」は皇帝だけへの言葉です。
あとは、皆さんの解釈にお任せします。
高説にすこぶる有利な文字が現碑に見られてよかったですね!
「天皇御即位大礼記念」の9文字が眼にあざやかなことでしょう!
コメント記入諸子:
このコメントが休眠半年後の11番目となります。他にもこのように「門前市をなす」事例を発掘して画面をにぎにぎしくしていきましょう!
「萬歳」はお祝いの言葉だったのですね。
「心」の全ては判りませんが、私の想像していた「心」とは違い、明澄な感じがします。
そして小松さんのコメントを見せて頂いて、ええとこブログさんがもっと楽しくなりました。
このコメントは12番目ですね。
有難うございました。
これからもにぎにぎしく!是非ご一緒させて下さい。