2007年07月25日
私の「高槻のええとこ」
歴史が偲ばれる景観

急ぎの歩き移動で現代劇場から出屋敷通りへ、慣れない近道をしようとして迷い込みました。大汗かきつつ涼しげな町屋に病院の看板が出ています。
18年前、「痛いよー」とむずがる息子を抱いて茨木市からたどり着いた病院(にそっくり)です。
思わずケータイでぱちり!
高槻のええとこは人情。
撮 影 日 2007/7/19
撮影場所 城北町1丁目(地図)
投 稿 者 kimama
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Posted by 高槻市
at 09:46
│Comments(3)
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このエリアは、町家の持っている良い要素とその場所にかかわる素晴らしい人々。それらをつなぐきれいな道や水路等が、うまく調和しているからこそ、多くのファンの支持を得ているような気がします。
この道や水路は、西国街道や高槻城へ繋がる、昔からのこる街道の一つで、国土交通省の歴史街道のモデルプランのより、きれいに整備されたようです。
「歴史街道モデル事業 高槻地区」
http://www.kkr.mlit.go.jp/plan/rekishikaido/mainrout/09takatu/index.html
この町家はkimamaさんの思い出(記憶)を呼び覚ましたのですね。
この診療所は、江戸時代に脇本陣としてお侍さんが泊まったところらしく、享保年間、吉宗さんの時代の建物で、もうじき300歳を向かえる建物です。
昨年のクリスマスには、ライトアップされたりもしています。
http://takatsuki.osakazine.net/e21716.html
このようなふるい建物を大切にしていること自体、なんか「人情」みたいなものを私も感じます。
あれから18年前をいろいろ思い出しつつwebで地図を見てみると、どうも18年前の目医者さんは京口町あたりではなかったかと思うのです。
webの地図で見る限り京口町には病院のマークがありません。
建物の外観といい気温!?といい、もう18年前の暑い夏そのまんまですのに。
どなたか情報あったら教えてください(><。
先生、おかげさまで息子はめがねはかけていますが、両目ぱっちりつぶらな瞳の21歳になりました。