2011年09月07日
京大農場
農地里山の景観

この景色にみとれていると、癒されほっとします。3万都市であった昔の高槻市当時の面影が、今やここだけに残されており、「故郷」に出会う懐かしさいっぱいの感じがします。


銀杏の木の芽立ちは毎春美しいかぎりですし、秋の黄葉も見事です。
近くの幼稚園児が畦道に散策にきていました。妙な具合に開発されることなく、高槻市のこの宝物をいつまでも残しておいてほしいものです。
撮 影 日 2011年4月19日
撮 影 場 所 八丁畷町(京大農場)(地図)
投 稿 者 sokemuku
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Posted by 高槻市
at 09:00
│Comments(7)
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とくに秋は、こがね色の銀杏並木が、青く高い空に映えて
とてもきれいです。
畑ごしに望む安満山と広々とした空は、町なかでこんなに
いい眺めが、と通りかかるたびにしばらく足をとめて見入ってしまいます。
開発したり、新しくて便利でお金が儲かるものを作る以外にも、
人をうれしい気持ちやいい気分にすることができるものはありますよね。
食糧増産・改良・開発などの崇高な研究のために、京大農場が開設されたと思いますが、それを後押しするかのように、工事中、三島地区で最初の稲作をしたと思われる遺跡が発見されたとか。その縁(えにし)を後世に伝いたいですね。
9月1日の新聞に、京大農場跡地に「防災公園」。の記事が載っていました。
農場が移転することは悲しいことですが、跡地が防災公園になるのは大賛成です。
防災ですから、高い建物を造ることはないでしょうし、広々とした、見渡しの良い、みどり豊かな芝生公園の実現を期待しています。
基本的には、先住民の意見を考慮しながら、その生活権を配慮しながら、まちづくりと政策的なこととをトータルで考えることが基本だと思います。
でも、現実問題として、そんなことは、開発事業としては成り立たないのだと思います。
これは政治的な部分で、私には立ち入ることが出来ません。
この地の先住民は、水田の植物や昆虫、バクテリア等々の皆さん、と鳥や動物です。
例えば、水田をつぶして果樹園にするという考えであっても、そこに住む生き物の、総入れ替えです。先住民の人権?・・・住む権利・・・は一方的に剥奪です。
芝生公園にするということは、いかにも緑の自然を残しますということであっても、人工的な土木工事を伴うものでしかありません。
人類の38億年のDNAと同じく、先住民の皆さんの綿々と続いた生命のつながりを、今断ち切っていいのかという思いがあります。
でも、こんなことを考えていたら、何も進まないのかもしれませんね。
どなたのご意見も傾聴に値する貴重なものとおもいます。
私個人としましては現在の農地のままで保存できればどんなにいいだろうと思っています。大都会の市街地のすぐそこにこんな農地をもつ都市って他にあるでしょうか。100年後の子孫にこのまま残してやれればどんなに喜ばれることでしょう。
私の意見は現実を無視した理想、夢想を語っているに過ぎません。
ただ、新聞に農場が移転し、そこが新たなものに生まれ変わるとの記事を目にしたとき、今年の4月に通りがかりに写した写真を思い出し、投稿しました。
さみしいなあという気持ちに襲われたからです。
私は歴史が好きで、失われた記録や映像をできるかぎり後世に残す作業を続けてきました。地名一つを取り上げても、昭和40年代以降、ずいぶんと変わりました。地名が変われば歴史が分からなくなります。
この農場の跡地に防災公園ができて、数十年たてば「かつてここには農場があったのだ」という記憶は昔語りとして霞の向こうにぼやけてしまっていることでしょう。
今日的意義からすれば、防災公園は私たちの生活にとても大事なもので、その計画に異議を唱えるわけではありませんが、、、