2007年06月11日
安満遺跡
歴史が偲ばれる景観

安満遺跡は、弥生時代の稲作の様子を伝える遺跡で、住居群のまわりに濠をめぐらす環濠集落跡です。
この辺りは湿地帯で、桧尾川の洪水や氾濫に脅かされることも多かったため、この安満のムラも、一時期、山麓の芝谷遺跡などの高地性の集落へと移った形跡もあります。
しかし、この集落はそういった桧尾川の氾濫の歴史のなかでも、比較的山裾にあって安全であったのか、「安心で満足」と言う意味から、この「安満」という地名が由来するという説もあります。
現在は、京都大学付属農場などになっていますが、市街地のなかの貴重な歴史資産として、また、貴重な緑の資源として、みんなで有効に活用していければと思っています。
●散策部会 遺跡散策資料
○安満
撮影場所 八丁畷町・高垣町ほか(地図)
投 稿 者 神畑善吉
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Posted by 高槻市
at 09:09
│Comments(5)
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安満遺跡は、昭和3年の京都大学付属農場の建設のときに発見されたそうで、北九州からはじまった弥生の農耕文化が近畿地方にもいち早く伝わったことが始めて明らかになりました。
そして、安満遺跡は、うまく京大に引き継がれて、市街地に程近い広大なオープンスペースとして守られています。
また、この「安満遺跡」は、平成5年に国の史跡に指定されていますので、このオープンスペースは、行政が徐々に用地を買い上げていくことになります。
この空間がどのように使われていくのか?高槻にとって、すごく大きなことだと思います。
京大農場とその北側も田んぼや畑なので、散歩していると草のにおいがとてもいいです。うちの子供たちはここの近くでよく遊んでいます。雑草をままごとの材料にしたり虫を捕まえたり、子供にはとても良い環境です。
芝生や花壇が整備された公園では雑草は敵ですが、自然に道端や原っぱにある雑草は子供の遊びをとても豊かにしてくれていることを思うと、自然の土や草や木に触れられるこのような空間を大切にしていければと思います。