2010年01月03日
樫田・樫船神社
寺社の景観

本殿は覆い堂に覆われて守られています。昔は結構雪が多く、市バスの運行が止まると学校も休校、湿気が多いので本殿、拝殿の傷みも早かったと思います。
享保8年、唐崎村の萩原氏が寄進した灯籠が残っていました。広域から参拝者があり、広く崇敬されていたのですね。

石と木で組まれた参道は情趣があり、小鳥の姿も見えました。人気のない参道は静寂そのもの。

第2鳥居は緋色、午後の日差しにきらめいていました。前の樅の巨木は高槻市の古木に指定されています。

鳥居前の紅葉、石段を登るのはかなり息が切れます。
<豆知識>
樫船神社は田能庄の氏神、地元の根本住人佐伯氏と藤井氏という名主によって祭祀されていました。
古代、丹波に軍事を司る佐伯直が配置され、この村は佐伯氏の部民が居住したところです。
鎌倉初期、遷宮に際して仏像と神像を4体造像、神宮寺に奉納され、今も残されています。
その造像に関わったのは、佐伯氏5名と藤井氏1名、そしてそれぞれの妻女、縁共といわれる分家筋の人々たちでした。
それからほぼ800年、佐伯、藤井の子孫たちは、室町末期までに、それぞれ姓を変えて今日に残りました。1村が同姓ばかりでは機能しないので、家の位置によって呼称を変えたのです。北舍、中舍、南舍等という名字はそのときに生まれたものでしょう。
今、氏神樫船神社は鬱蒼とした森に覆われ、ところどころに巨木も残っています。40年前には巨木ばかりだったひもろぎに、枯れて腐食した株だけが残っている光景には寂しさを感じます。
撮 影 日 2009年11月
撮影 場所 田能(樫船神社)(地図)
投 稿 者 古藤幸雄
↓ランキングに参加してます☆是非一日ワンクリックお願いします♪m(__)m

Posted by 高槻市
at 00:33
│Comments(1)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
本殿の鳥居も参道も、実に趣がありますね。
本殿まではなかなかしんどそうです。
苗字の話、おもしろく拝見しました。
ありがとうございます。