2007年02月04日
梶原一里塚
歴史が偲ばれる景観
かつて一里塚があった場所は、民家に挟まれていて、車で通ると見過ごしてしまうほどです。
昔、一里塚には、遠くからでもわかるように大木が植えられていました。梶原の一里塚は既になくなっていますが、裏にある椋の木の切り株がその名残を残しています。
この辺りは少し高台になっているので、かつては淀川を望むことができたようです。
梶原一里塚の西国街道沿いには、一部に宿もあったようで、昔は休憩する人たちで賑わっていたのだと思われます。
撮 影 日 平成19年1月15日
撮影場所 梶原2丁目(地図)
投 稿 者 文化財スタッフの会 散策部会
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Posted by 高槻市
at 09:40
│Comments(2)
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この一里塚がある場所は、旧梶原村の東端に位置するらしいですが、「五領村歌」というのがあるそうで、明治40年代に 五領小学校の校長先生が作詞されたそうです。
http://www.takatsuki-osk.ed.jp/goryosyo/SYOKAI/syokai3.html
その7番に、又もや北に 立ち返り 道の向こうは 一里塚昔関所を 置かれたる 台場の跡も ここなるぞ
とちゃんとこの一里塚も歌われているのでした。
でも、このあたりは、台場や関所もあったのですね。
以前ブログでありましたが、高槻市では、梶原の他に、芥川の一里塚が残っています。
これらは、約400年前、江戸幕府が、江戸に至るおもな街道に「一里塚」を設置する命令をだし、約10年で完了したそうです。また、起点は、江戸の日本橋だそうです。
芥川の一里塚は、木造の建物がありますが、一般的には、土を盛って木を植えるような形みたいです。
「いろんな一里塚」
http://www.gekkou.or.jp/c-1/htc-0304/itiri-040108.html
「芥川の一里塚」
http://takatsuki.osakazine.net/e20050.html