2006年12月20日
高槻城の破却石
歴史が偲ばれる景観

この石積みは、高槻城の破却石が利用されています。高槻城は国有鉄道開通のため、明治7年に石垣が破却され、鉄橋やトンネル等に利用されたのです。
また、城の破却石は、駅の北側にある「上宮天満宮」の参道石垣にも積まれています。明治11年には、破却された城をしのんで、高槻城の絵馬が永井神社に奉納されています。
城の石垣が破却されたのは残念な気がしますが、こうやって別の形で利用されることで、その歴史を次代へと伝えているだと思います。
撮 影 日 平成17年9月17日
撮影場所 神内1丁目(JRガード下)(地図)
投 稿 者 文化財スタッフの会 散策部会
↓ランキングに参加してます☆是非一日ワンクリックお願いします♪m(__)m

Posted by 高槻市
at 08:53
│Comments(5)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
江戸時代が終わり、鉄道の敷設など近代国家への道をまっしくらに突き進んでいる明治の日本。そのような時代のまちの激変ぶりが頭に浮かんできます。
こんど行ってみようとおもいます。
そして高槻市内から移築された武家屋敷の長屋と城内の茶室を見てきました。無くなった高槻城とキリシタン大名高山右近のことに思いを馳せていたところです。市内に高槻城の破却石があるのであれば、機会を見て往時を偲びにいきたいと思います。
また、インドのハラッパ遺跡の焼きレンガも、最近まで住居に再利用されたり、19世紀の植民地時代、イギリスが鉄道を敷設するとき、枕木代わりに利用しており、そのため貴重な遺跡の大半が破壊されてしまいました。
再利用するのは、ゴミになるようなものだけに願いたいと私は思いますが、いかがでしょうか。
ちなみに、日本一有名な大阪城も三代目にあたるそうです。構造は、鉄筋コンクリート製で、中にはエレベーターも設置されています。
http://www.osakacastle.net/006/HP/history/noshock/jozetu/index.htm
また、建設資金がすべて“市民からの寄付”でまかなわれているということから、いかに市民から愛された建物か感じることができます。
http://www.osaka-cpa.or.jp/html/bunka/konjaku/konjaku4.html
建築の世界でも、リフォームやリファインという工法があり、地元で大切にされている建物の保存方法として最近注目を集めています。
リファイン建築の先駆者として有名な方に「青木 茂」さんと言う方がいらっしゃいます。
http://www.re-fine.co.jp/about5.html