2006年11月27日
まちを行き交う人たちを見守り続けてきた一里塚
歴史が偲ばれる景観

西国街道芥川宿の東端(今の芥川商店街の西端)には、西国街道に一里(約3.9km)ごとに置かれていた塚が今も残っています。
この辺りでも一里塚跡がある場所は多くありますが、昔のまま存在しているのは貴重だと思います。後ろの木も立派です。
今も昔も行きかう人たちを見守り続けてきました。
撮 影 日 2006/11/11
撮影場所 芥川町3丁目(地図)
投 稿 者 松本邦彦
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Posted by 高槻市
at 09:21
│Comments(8)
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ということで、調べてみました。
榎だそうです。なぜ榎になったかについては伝説では家康が「ええ木を植えるべし」と言ったのを「えのき」と聞き間違ったことから榎を植えたという話があるようです。
今も目にすれば癒されますが、当時、西国街道を徒歩で移動していた旅人にとっては、ある程度遠くから見えて目標となり、木陰で休息をとったんでしょうね。
小川さんがおっしゃるように、街道に1里毎に築かれた塚には大木が植えられ、その木陰は旅人たちの格好の休憩場所になっていたそうです。
作らせたの徳川家康らしく、以前「いいなぁ~」と思っていったことのある神奈川県の一里塚を見てみると、20個あったうち、現在では3つしか残っていないらしいです。
http://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/03_sisetu/01index.htm
結構貴重ですぞ!
これからは前を通るたびに、そのお話を思い出してしまいそうです!
景観といっしょにストーリも守られていくのが、ええんでしょうね。
市域には、他に梶原一里塚があったらしい。(全部で2箇所)また、芥川一里塚の堂内の地蔵尊は、かつて淀川沿の中村にあり、度重なる水害から守り継がれてきたもので、「水あがりの地蔵さん」とも呼ばれ親しまれているみたいです。
http://www.tcn.zaq.ne.jp/akacs501/takatsukisansaku/04kajiwaraichirizuka/04kajiwaraichirizuka.html
あと、芥川宿絵図に一里塚が描かれていますよ。
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/bunkazai_akutagawa-shukuezu.html
高槻は南北に長いのですが、東西を探検しても、結構興味深く感じました。街道沿いの古いまちなみだけでなく、水害対策なのか、周りより少し土地を高くした石積みの上に家を建ててあったりして、意外なところに関心したことを覚えています。
車に気をつけながらなので、ゆったりウォーキング・・・というわけにはあまりいきませんが、たまには歩いてみると新しい発見ができるのかもしれませんね。
でも、行ってもこれが『一里塚』とはわかりませんでした。(案内版も発見できませんでした)
昔の道標などは、今は機能していないので、案内版とかが重要なのだと感じました。
道路標識や地名表示なんて趣がないし、そもそもみんな歩かなくなった。
歩く場所でかつ、同じ目印があって、いいなぁ~と思うところ。
http://blog.goo.ne.jp/tosiseisaku7552/e/d998f5f676f5f17bb2266aaa5bb29f5dで、ふじいさんが紹介されていましたが、ハイキングコースなどはおもしろいと思います。
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/db/sports/db5-heiking.html