2009年03月02日
なつかしの駄菓子屋に耶馬渓温泉の看板
歴史が偲ばれる景観

「わがまち再発見ツアー」に参加した道すがら、懐かしい雰囲気の駄菓子屋さんを発見しました。


中はおそらく昔よりすこし品揃えが少ないけど、綺麗にされている店内。そして、外には、「耶馬渓温泉 高槻市摂津峡」の看板が・・・・・。
摂津峡の入り口にある懐かしい建物。これに、大村昆や柴田勲のオロナミンCの看板があれば鬼に金棒だと思いました。
撮 影 日 2009年3月1日
撮影 場所 塚脇2丁目(地図)
投 稿 者 上ひら
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Posted by 高槻市
at 08:18
│Comments(11)
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あと、「耶馬峡温泉」の看板がこの店の歴史を感じさせます。
小銭を持ってやって来る近所の子どもたち、それを迎えるお店のおばあちゃん、いろいろ勝手に想像してしまいます。
いつまでも変わらぬ雰囲気で残ってほしいなぁと思いました。
昔は、この店の前が摂津峡下の口のバス停でした。
ここから摂津峡まで、かなりの距離ですので、往きはともかく帰りはしんどくて、このお店で買い食いしたものです。
道路から一段下がったところに店の入口。ちょっと珍しい入口。懐かしいです。
本当に、「耶馬渓」と言われていたのですね。
実際に歩いて、現地の人の説明を聞くとよくわかりました。
良い勉強になりました。
わたしは、大塚のボンカレーの松山容子さんの看板の世界です。世代が違う?
案内していただいて、視野も広がりました。
Thank youでした。
>きたのさん
私も小さいときには、こんな駄菓子屋にはおばあちゃんが必ずいました。なんでか、いつもお釣りの10円とかを「10万円!」ってくれました。。僕もほんと残ってほしいな~とも思います。
>せいろうさん
なるほど。この店の前が摂津峡下の口のバス停だったのですね。いまや人通りがすくないところにあるので・・・。と思っていました。
ここは、摂津峡に行った人の「買い食い駄菓子や」だったんだ・・・と思いました。ありがとうございました。
>銭無のとっつあんさん
本当に、「耶馬渓」と言われていたんですよ。この前、50年まえの摂津峡の写真で、でれんこさんが、大分の耶馬渓にちなんで、摂津峡のことをそう呼んでいたとおっしゃっていたことが頭にあって、この看板を見たとき、キターっておもいましたよ。
>兄貴momさん
ありましたよ~。。。このおみせ。。
ちなみオロナミンCのCMの歴史↓
http://www.otsuka.co.jp/orc/contents/history.html
で、ボンカレーのCMの歴史↓
http://www.boncurry.jp/history/
古藤先生のご親切な説明で、楽しく見学させて頂きました。
そして、高槻を大切に思われておられるのがよく伝わってきました。
参加させて頂いて良かったです(^^♪
ありがとうございました!
魚釣り、ザリガニ釣りに行く時いつもこの前の道を通ってました。小学校の5年か6年くらいのときかな。
ただ、店に入ったことはなかったように思います。
狭い道で、車をよけながら自転車を漕いでたのを思い出します。
まだ、ザリガニ釣れるのかな。ちょっと気になります。
35年ぶりに見る光景です!
その頃、新しい道が出来て店より
道が1メートル程高くなったのですよ~
昔はこの前をバスが走っていました。
このお店の斜め向いに大きな
セントバーナード犬がいつも昼寝を
していた事も思い出します。
本当にあの頃のままなんですね!
感激です~!
まるで、タイムカプセルを開けたような
気がします。
このような風景が残っているあいだに
一度行ってみたいです…。
上ひら様ありがとう!
このお店の少し奥へ行った所
右側に坂道があります。
その道を真直ぐ登って行くと
「摂津芥川城址」があります。
今でも、行けると思います。
そこは、戦国時代の一時期
「三好政権」と称された時代
「三好長慶」が畿内に号令を発して
いた城です。
もしも、なんて言う話もなんですが、、、
もし、信長が桶狭間で敗死していたら、
今頃は、この辺りが首都なんて事も
有り得なくはないかもなんて…。
興味のある方は一度行ってみられたら
どうでしょう。
多分、今でも野づら積の石垣が累々と見られ
井戸跡、頂上に本丸跡が
残っているはずです。
大切に保存、整備されて下さって
おられる方が居られると思います。
(拝)
え~。あちらこちらに目がついている、kikoさんも気づかなかったとは。。。私は「懐かしい感じ~」で、「耶馬渓」の看板を見つけて、キターと思いました。。。
古藤先生のお話、私もすごく勉強になりました。
>ひらおさん
懐かしい風景、いいな~と思う風景は、小さいときの記憶や体験が下敷きになっているというお話を聞いたことがあります。
このお店の写真から、ひらおさんの思い出がめぐってきたなんてほんとうれしいです。
また、このあたりのこと、教えてください。
>kunさん
さ・さ・さんじゅうご年ぶりとは。。。
バス道ができときに、このような一段下がったお店になったのでしたか。。。でも、今は、バスも少し南の大きな道をとおています。
また、kunさんのご存知の情報あれば、ぜひおしえてください。
あろ、芥川山城、私もいってことがあります。kunさんがおっしゃるとおり、今でも石垣や井戸跡などのこっていますし、地元の方に聞くと、このごろ、結構訪問される方も増えているようです。
しかし、手入れの現実は厳しいようです。いまでも、散策シーズンの前には枝打ちをしたり落ち葉の掃除をされているようですが、現在は、竹林が拡大し、スギやヒノキの人工林は人の手が入らず、荒廃が進んでいるところもあるようです。
そういったこともあるんで、毎日新聞社と大阪府でも、このあたりの間伐と 植樹をする「よみがえれ里山-森の再生で地球温暖化を防ぐ-」 キャンペーンを実施しているようです。
http://www.pref.osaka.jp/hokubunm/midori/adopt/boshutyu/siroyama/siroyama.html