2009年02月08日
高槻の路傍の石物語~その2~
歴史が偲ばれる景観

↑路傍の石3(天神町2丁目)
違う日にウオーキングしているとまたまた天神町1丁目「笠松地蔵堂」の角で巨石(路傍の石3)を発見!!

↑一石五輪塔(芥川町2丁目)
そこを過ぎると今度は巨石ではなくて、小さな一石五輪塔を芥川2丁目で見つけました。
この一石五輪塔の地輪部に化粧地蔵が描かれていました。
高槻には約400体以上の地蔵がありますが、一石五輪塔に描かれた化粧地蔵は、この場所以外にはもう一箇所しかないと言われています。
撮 影 日 2009年2月1日
撮影 場所 路傍の石3:天神町2丁目(地図)
一石五輪塔:芥川町2丁目(地図)
投 稿 者 fullmoon
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Posted by 高槻市
at 12:52
│Comments(5)
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開店1周年 高槻Cafe&Gallary【Space Design】at 2009年05月03日 10:53
この記事へのコメント
投稿者:ちーさん
「路傍の石」1~2興味深く拝見しております。高槻にも珍しい風景風物が沢山見られ楽しいです。 今後の「石」シリーズ期待しております。
2009年02月09日 22:04
投稿者:上ひら
一石五輪塔のお地蔵地蔵さん、初めてみました。ちーさんと一緒で私もすごく楽しませていただきました。あと、高槻には400もお地蔵さんがあるのですね。
昔は、もっと不衛生でしたので、4、 5歳くらいの子供がよく死んだと聞きます。
そして、死んだ子供のために大家さんが地蔵をつくってくれて、それが、京都から大阪、神戸の各長屋ごとにも祀られるようになったそうです。
そして、 死んだ子供の供養や後から生まれた子供の成長を願って提灯を奉納することが一般化して、 地蔵盆の風習となったそうです。
(参考:近代生活の変遷)
いまでは、いろんな病気も治りますが、昔は、どうにかしてあげたくて、どうしようもなかった。
お地蔵さんや地蔵盆にはそういった思いが込められていることを知ってから、お地蔵さんを見たとき、元気でいてくれる娘のことをごっつい感謝できるようになってきました。
また、いろんなお地蔵さんのことご紹介ください。
2009年02月10日 00:34
投稿者:せいろう
「路傍の石」とくれば、山本有三… 吾一… と連想してしまいます。小説「路傍の石」がどうゆう内容だったか覚えていませんが、自信をなくしている吾一に先生が、「吾一」という名前のもつ意味を話して勇気づける場面があったように思います。
蹴っ飛ばされそうな小さい路傍の石・吾一も、やがて、この写真のように大きく、存在感のある人物に成長するところまで書きたかったでしょうけど、個性とか、人間尊重といったことを主張できない時代のため、有三は筆を折り未完に終わっています。
「路傍の石」と聞いただけで、何かが足らなくて、何かが得たくて、何でも出来そうに思えて、目をキラキラさせていた子供の頃を思い出し、胸キュンに生ります。
2009年02月14日 05:09
投稿者:design-search
ブログサイトの整理をしていて、今トラックバック頂いていたのに気づきました。有り難うございます。高槻も昔の町並みが残っている、いい町ですね。古き良き物を、もっともっと大切にしたですね。
2009年05月03日 12:46
投稿者:ひらお
design-searchさま。コメント&TBありがとうございます。
ぜひ、プロの目から見た高槻のええとこを、design-searchさんにご紹介いただければ嬉しいです。
今後もよろしくお願いします。
2009年05月05日 17:28
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