2009年02月01日
野見神社の竹と藤井竹外
歴史が偲ばれる景観
ジャズストの頃の高槻現代劇場の入口付近です。野見神社の北側の敷地であり、漢詩人・藤井竹外旧居跡の南側に当たります。
竹外が住んでいた頃、ここには牛頭天王社(野見神社)神主の家があり、その庭に竹藪があったそうです。竹外はこの竹藪を「夜聴隣園竹風」に詠んでいます。
一陣風来一陣鳴 一陣風来たりて一陣鳴る
虚檐夜静見秋生 虚檐(エン=庇)夜静かにして秋の生ずるを見る
万竿修竹非吾有 万竿の修竹(長い竹)は吾が有するに非ず
只領万竿修竹声 ただ万竿の修竹の声を領するのみ
隣家の竹を羨ましげに詠んでいるだけのようですが、「竹の持つ美風をまだ自分は感得していない」と述べているとも取れます。竹外という号もここから来たのかもしれません。
撮 影 日 2008年5月3日
撮影 場所 野見町(地図)
投 稿 者 岩崎健一郎
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Posted by 高槻市
at 11:57
│Comments(4)
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TBありがとうございました。
僕も僭越ながら、返させていただきました。
よかったら、宜しくお願い致します。
正直、高槻市のこういったブログがあったことを知らなかったので、これを機会にのぞきに来させてもらいたいと思います。
いしださんのブログ、拝見させていただきましたよ。すこしづつ、好きなことをみんなに知ってほしいな~ってお気持が感じられます。
私もちょくちょく訪問させていただきます。
で、もしTBしていただいたのでしたら、来ていません。このブログはコメントもTBも即時UP!です。
ぜひ、いしださんの高槻情報もご紹介ください。
でわでは。。。
昔の日本人の漢詩も少しずつ勉強しています。
こちらのブログも少しずつ拝見していきます。
これからもよろしくお願いいたします。
だから「夜聴隣園竹風」では、無数の背の高い竹は自分の所有ではないが、そこに吹く風の音は我がものだ。と詠んでいます。
この竹林があるので、転宅を一度もしていません。
ところが、42歳の時、7月に江戸勤番を終えて帰ってきて、夢にまでみた竹林の陰で汗をぬぐおうと、部屋に入った竹外は、茫然と立ち尽くします。
垣根の向こうは空っぽ。一本の竹もない。
隣家の人が斧で切り払ったことを知り、いたく惜しみ悲しんで「竹に哭す」の連作六篇を生みます。
竹外は二男三女の子持ちでしたが、末娘の柳(りゅう)が未婚のまま春にみまかって、痛恨の涙が乾かない時期に、またしても思いがけない竹林伐採の出来事。断腸の詩といえます。
竹外の墓は三箇所、高槻には、天神山の乾性寺、大手町の本行寺の二箇所、いずれも近くに竹林はありません。
もう一箇所は、京都円山公園の奥、長楽寺の山陽の墓とL字型に隣り合っています。ここの近くには立派な竹林があります。爽やかな竹風を聴いていることでしょう。
竹林を伴った顕彰碑がほしいですね。