2008年11月23日
ご近所の紅葉も素敵です~♪
街路の景観

近くの富田団地は緑がいっぱいです。毎年、紅葉も素晴らしく生活の場でありながら、癒される場所です。撮影したのは夕方。


我が子が小さかった20年前どんぐりを拾った木も健在でした。どんぐりは爪楊枝をさして独楽を作り遊びました。
南天の実、お正月も間近ですねえ。
撮 影 日 2008年11月15日
撮影 場所 牧田町(富田団地)(地図)
投 稿 者 藍
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Posted by 高槻市
at 00:16
│Comments(5)
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だから、団地の木も40年近くたって、貫禄がでてきたのでしょう、すごく綺麗な並木道です。。
あと、いわけんさんがいう「余裕」ですが、いまマンションを建てるときの容積率(土地面積に対する建物床面積の割合)は、経済性を追求するために、法的な限度いっぱいで建設することがおおいようです。
たとえば、この富田団地のあたりだと、200%いっぱい建てます。
しかし、この富田団地の実際の容積率は私の記憶では100%もなかったと思います。だから敷地利用がそもそも余裕があるのかな?と思います。
また、こういった60年代~70年代の団地に視点を向ける動きもあるようで、「団地の側面写真」を収集したり、空家などをSOHOなどで利用していくようなプロジェクトも立ち上げられているようです。
http://redanchi.exblog.jp/
上ひら様
実は私、旧宅がこの団地でした。
自治会の委員をしていたときに聞いた話ですが
団地ができたばかりの頃は、木がほとんどなかったそうです。
自治会ができて、住民が強い要望を出し続け
今のように緑豊かな団地になったそうです。
いろいろな野鳥や昆虫もいます。
害虫の問題とか、良いことばかりではありませんが
何十年かかって、簡単には手に入らない自然ができたんですねえ。
上ひらさんのコメントを読んで、このまま団地が残ればいいけどと思いましたが、難しい気がします。
”団地”という言葉ができたのは昭和30年頃だと思います。高い競争率を経て、憧れの団地で所帯をもったカップル。
やがて子供ができる。しかし子供を遊ばせるのに日陰がない!木を植えよう! そんな光景が目に浮かびます。
いつの世も、親は子のことばかり考えています。老婆は息子に手を引かれて歩いていても、「それ、車が来た」、「水溜まりだ」、などと世話をやきます。親は死ぬまで子供のことを思ってくれています。
このブログが目指すのも、子供たちが幸せに暮らせる高槻を!という願いからだと思います。
野鳥や昆虫が棲むようになれは、立派な里山。街なか里山ですね。
日本各地では団地の建て替え時期にきていますが、少子化の問題もあります。団地の規模が小さくなっても、ここまで成長した公園の自然は残したいですね。
子供が小さい頃は、団地の中だけで充分遊べました。
思い出がいっぱいです。
それも、初代の住民たちの努力のおかげだったんです。
親族でもない後から住人になった世代が、幸せにすごせたのだなあと
今頃、有り難みがわかるようになりました。
私も母のおせっかいが懐かしいです。
うるさいなあと思うこともあったけど、言われなくなると寂しいですね。
昔の人はやっぱり偉いです。