2008年09月14日
みんな昔は子供だった~川久保小学校物語~
歴史が偲ばれる景観
ここは、川久保の「諏訪神社」。
四方を山に囲まれている「川久保」は、川が流れ、地勢がくぼんでいるので、その昔、「川窪」、「窪ケ原」とよばれていたそうで、この諏訪神社に立つと、そのことが「なるほど!」と思えます。
そして、この諏訪神社の地にかつて、「川久保尋常小学校」がありました。明治13年にできた川久保小学校は、昭和のはじめ、磐手尋常小学校の分教場(分校)になりましたが、昭和36年に新校舎が完成するまでの約80年間、ここにありました。
今でもその名残なのか、神社の境内には、ブランコと鉄棒が残っていて、あと、サルスベリも綺麗に咲いていました。
そして、昭和36年に新校舎が完成し、新たな場所で開校した「川久保分校」ですが、平成11年には閉鎖されしまい、今では地元自治会が運営する「川久保交流センター」となっています。
「川久保小学校」の卒業生は400名を超えているそうです。そして、川久保地域で40人近くいた小学生も、いまは、たった一人だそうです。。。
「みんな昔は子供だった」。。。。でも、今何をすればいいのかわかりません。とても複雑な気持ちになりました。
撮 影 日 2008年9月6日
撮影 場所 川久保<諏訪神社(地図)>、<川久保分校跡:(地図)>
投 稿 者 ええとこブログ川久保取材チーム
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Posted by 高槻市
at 04:14
│Comments(4)
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横笛の名手がいました。ある時、海賊に襲われました。船頭も乗客も高手小手に縛り上げられ甲板に集められました。これから皆殺しになります。
そこで、笛の名手は今生の名残に一曲吹かせてくれと頼み、心をこめて吹きました。
月光のもと、しょうじょうと流れる調べは、誰もが知っている子守唄…。低く高く、細く長く、流れる子守唄…。
そのうち、ヒゲ面の海賊の肩が震えだしました。みると泣いています。やがて海賊は皆を解放し何も盗らずに逃げかえりました。
遠い昔、夜なべの母から聞いた物語。
みんな昔は子供だった。
高槻はほんと「とかいなか」で、都市の現実も過疎地の現実も両方あるんです。
また、「みんな昔は子供だった」は、3年前ほど国仲涼子さんの主演のドラマがあって、私も見てました。
そのドラマでは、分校に子どもはただ一人でした。そして、その学校は、山村留学で都市から子どもを受け入れていたような場面もありました。
高槻の樫田小学校は、大阪府唯一の「特認校」で、都市部からも生徒を受け入れ、自然や地域の人との密接な家庭的環境の中での教育にチャレンジしています。
http://www.takatsuki-osk.ed.jp/kashida/
農地の殆ど無い川久保は林業で生きてきたらしいですが、現在国内では林業が殆ど成立していませんよね。色んな行政機関や大学などで国産材利用の推進のための方策を考えておられるようですし、高槻でも里山ネットワークや森林プラットフォームなどの森林ボランティアの方々が頑張っておられると聞きます。
地元の木を使うにはどうすればいいのかと思って調べていて、以下のHPを見つけました。(紹介文は「まちづくりアドレスブック」より)
日本全国杉だら倶楽部
〈東京〉「杉だら」とは、高度成長期まで生活のあらゆる場面で使われていた杉の良さを見直し、街や住まいを杉製品だらけにしていこう! という運動です。関西支部もあるそうです。
http://www.sugidara.jp/
http://sugikan.exblog.jp/
杉で有名な宮崎県ではJRの駅舎建築に杉をふんだんに使って注目されています。高槻でも地元の農林業産品を使うことができればいいですね。
児童の減少で取り壊された小学校跡が「コミュニティセンター」や
「子育てすくすくセンター」に変わっていました。
この小学校は、児童が多くなった時にできた小学校なので
川久保小学校とは違いますが、小学校が無くなるのは寂しいですね (-_-;)