2008年07月17日
樫船神社・奥の谷池
寺社の景観
樫船神社は、約800年程前に建立された名刹で、樫田地区の鎮守様として今日に至っている。
深い緑の木々に包まれた静かなお社です。
樫船神社参道途中に奥の谷池という農業用の池があり、木々の深緑が池に鏡の様に映り、印象的であった。
これが秋になり紅葉し、その模様が映ればなお見応えがあるでしょう。
その時季の訪れたいものです。
また、当日樫田探索の初めから最後まで案内、又分かりやすくお話をして頂いたMさん。よく理解出来ました。

たくさんの人で訪問したので、木の枝の上で寝ていたシマヘビ君皆が騒ぐので機嫌を損ねて去っていきました。
撮 影 日 2008年6月22日
撮影 場所 田能(樫船神社周辺)(地図)
投 稿 者 ちーさん
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Posted by 高槻市
at 11:56
│Comments(4)
この記事へのトラックバック
ここは、田能の 樫船神社 です。
小雨の中、高槻のええとこブログの人達に高槻北部を案内して頂き取材してきました。 地図
ここが奥の谷池です。
樫田支所から歩いて15分。樫船...
樫船神社 (かしふねじんじゃ)【kikoがスタート】at 2008年07月17日 13:14
この記事へのコメント
投稿者:kiko
TBありがとうございます。 私もTBさせて頂きます (^^♪
明治時代の町村合併で、田能村・中畑村・出灰村・杉生村が合併した時に
樫船神社の「樫」と、田能村の「田」を組み合わせて「樫田」と名付けられた事を知りました。
「樫田」の事が、もっと知りたくなりますね~ (^^♪
2008年07月18日 11:00
投稿者:上ひら
この樫船神社。樫田の山のなかにあるのに、「船」とは??って思ったら、ここは、昔「湖」だったという伝説があるそうです。>言ひ伝へによれば、亀岡(亀山)盆地がかつて大湖であつた頃、諸国巡国中の大己貴命が樫田村の黒柄山に八百万の神々を集めて相計り、樫田村の樫船明神が樫の木で船を御作りになり、亀岡上矢田の鍬山明神が鍬を御作りになつて、この樫船に乗つて請田(保津峡)の峡を開かれたので、湖水は嵐山の方に流れ、肥沃な平野が現出した。
(参考:http://tanbarakuichi.sakura.ne.jp/shrine/osaka/01.html)
あと、シマヘビ君、懐かしいですね。もしや、目の前のモリアオガエルの卵を狙っていたのでしょうか?
2008年07月18日 16:12
投稿者:kimama
あー、やっぱり枝の先にあるのは卵ですか?ヘビの事しか書いてないので「まさか、モリアオガエルの卵ならスルーするはずないしなぁ」と気になっていました。
上ひらさん、ありがとうございます。
2008年07月18日 22:39
投稿者:せいろう
昨日、「高槻山間部の歴史と昔話」(講師・宇津木秀甫)を聴きに行きました。樫田行きで、Mさんのお話を伺っていましたので、興味深く、頷くことも多く、拝聴しました。
講座では、樫船神社の棟札の文面を紹介してくれました。
それには、奉納された、神像・観音・大日如来・阿弥陀仏が誰によるか書かれていました。
奉納者(願主)に何人もの未亡人がありました。此のことは、樫田が男尊女卑でなく、極めて平等な平和な土地であったことが推察できる。とのお話でした。
日本の地形では、まず、山を乱開発せず守ることが大切。山が乱れれば、保水力が低下し、平野部の洪水・渇水につながります。
樫田に、もっともっと注目する必要があると思いました。
2008年07月19日 04:48
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