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2007年04月15日

清鶴酒造

歴史が偲ばれる景観

清鶴酒造

富田の酒づくりは、400年以上の歴史があります。今でも残る富田の造り酒屋は、われわれに安らぎや、古くから伝わるや「風習」などを伝えてくれる資源だと思います。

酒造りという生業が、我々に食の楽しみを与え、地域の文化を育てています。

清鶴酒造 清鶴酒造

実際にお住まいの方は、不便なこともあるだろうな?、災害や火災のときはどうなるのかな?と思いながら、こういった景観を残していければと思っています。

撮影場所 富田町6丁目(清鶴酒造)(地図)
撮 影 日 2007.3.24
投稿者名 原春ニ

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清鶴酒造



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Posted by 高槻市  at 09:40 │Comments(7)

この記事へのコメント
投稿者:マツサカ
単に外から見て、いい建物だから残してほしいと思うのではなくて、コメントにもあるように、住んでいる人の不便さを理解して思いやってあげることが、こういった建物を残していくことに繋がるように思います。
2007年04月17日 00:09
投稿者:ふじい
富田は、池田や伊丹とならぶ「北摂三銘酒」のひとつに数えられるお酒の名産地です。

最盛期に24軒もあったらしいですが、時代の流れで、生産量は減少し、幕末では6軒~8軒となり、現在は2軒の酒家が伝統の製法・技術を受け継ぎ、地酒の味を守り伝えているらしいです。

また、大阪で初めて「地ビール」がつくられたのも富田です。

高槻では、貴重な歴史が偲ばれる景観ですね。
2007年04月17日 17:54
投稿者:上ひら
大阪国乃長ビール(富田のもう一軒の造り酒屋の寿酒造ですが、、)は、大阪で一番最初に醸造された地ビールらしいです。

また、富田酒は、高槻の阿武山山系の石灰質を通って湧き出る「清水」に、富田台地の水はけのいい肥沃な水田でとれた「米」を使って名声を博してきたそうです。

いい水といい米がとれる台地という特性が、富田に酒造りという生業を育て、文化を育てている。それをいまでも守っていることにほんま感謝です。
2007年04月17日 23:44
投稿者:上ひら
原さんがご指摘されている、「昔からの風習」ですが、私もひとつ見つけました。

ちょっとまえに行ったときには、この清鶴酒造の蔵の入り口には、いわしの頭とヒイラギが飾られていました。

おそらく、節分の時に飾られたもので、鬼=災厄を遠ざけるおまじないの儀式としての行われているものだと思います。

富田の造り酒屋で目にすることのでいるこのような風習も、現在では廃れてきて、あまり見ることはないですが、このような光景をみると、先人のいろんな思いを感じたり、由来を調べたりするきっかけになると思います。

ちなみに、いわしとヒイラギについて↓
http://www.taishukan.co.jp/item/edo_egoyomi/iwashi_hiragi.htm
2007年04月17日 23:47
投稿者:ふーこ
私は、あまりお酒に強くないのですが、歴史を感じさせてくれる酒蔵っていいなと思います。

阪神淡路大震災のときの灘の酒蔵もそうでしたが、先日の能登半島地震で地元の造り酒屋さんが大きな被害を受けられたとのこと。

せっかく守られてきた伝統や歴史ある風景が、災害で一変してしまうのは悲しいですね。みんなで応援したいものです。

さて、わが地元高槻富田の清鶴さんには「百五拾一年目乃お酒」というのがあります。
なんでも、毎年作られるたびに、お酒の名前が一年ずつ足されていくとか。つまり、来年は「百五拾二年目乃お酒」になるのです。一年ずつ歴史を重ねていくことが、感じられるお酒ですね。もちろん、おいしくちょうだいいたしました。
2007年04月18日 20:05
投稿者:とある市民
富田の造り酒屋は、歴史の重みを感じます。
その昔、「紅屋」という大名に匹敵する造り酒屋があったそうです。「紅屋池」はその名残です。
そして、ここ富田から伊丹、池田へと酒づくりが広がっていったとか。

広がりといえば、このブログも投稿する人が固定されているようです。
もっと、広がれば・・・
2007年04月19日 23:22
投稿者:マツサカ
紅屋池(筒井池)は、この地域の中心であった豪商「紅屋」に隣接し、その庭池にもなっていたようですね。酒造のための米作りが盛んだったため、この辺りには多くのため池があったようです。

紅屋池も、現在では、その大半が埋め立てられてしまっていますが、かつては本照寺のそばまで広がっていて、寺院が池に映る美しい姿を眺めることができたそうですよ。
2007年04月20日 00:18
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