2007年04月15日
清鶴酒造
歴史が偲ばれる景観
富田の酒づくりは、400年以上の歴史があります。今でも残る富田の造り酒屋は、われわれに安らぎや、古くから伝わるや「風習」などを伝えてくれる資源だと思います。
酒造りという生業が、我々に食の楽しみを与え、地域の文化を育てています。
実際にお住まいの方は、不便なこともあるだろうな?、災害や火災のときはどうなるのかな?と思いながら、こういった景観を残していければと思っています。
撮影場所 富田町6丁目(清鶴酒造)(地図)
撮 影 日 2007.3.24
投稿者名 原春ニ
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Posted by 高槻市
at 09:40
│Comments(7)
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最盛期に24軒もあったらしいですが、時代の流れで、生産量は減少し、幕末では6軒~8軒となり、現在は2軒の酒家が伝統の製法・技術を受け継ぎ、地酒の味を守り伝えているらしいです。
また、大阪で初めて「地ビール」がつくられたのも富田です。
高槻では、貴重な歴史が偲ばれる景観ですね。
また、富田酒は、高槻の阿武山山系の石灰質を通って湧き出る「清水」に、富田台地の水はけのいい肥沃な水田でとれた「米」を使って名声を博してきたそうです。
いい水といい米がとれる台地という特性が、富田に酒造りという生業を育て、文化を育てている。それをいまでも守っていることにほんま感謝です。
ちょっとまえに行ったときには、この清鶴酒造の蔵の入り口には、いわしの頭とヒイラギが飾られていました。
おそらく、節分の時に飾られたもので、鬼=災厄を遠ざけるおまじないの儀式としての行われているものだと思います。
富田の造り酒屋で目にすることのでいるこのような風習も、現在では廃れてきて、あまり見ることはないですが、このような光景をみると、先人のいろんな思いを感じたり、由来を調べたりするきっかけになると思います。
ちなみに、いわしとヒイラギについて↓
http://www.taishukan.co.jp/item/edo_egoyomi/iwashi_hiragi.htm
阪神淡路大震災のときの灘の酒蔵もそうでしたが、先日の能登半島地震で地元の造り酒屋さんが大きな被害を受けられたとのこと。
せっかく守られてきた伝統や歴史ある風景が、災害で一変してしまうのは悲しいですね。みんなで応援したいものです。
さて、わが地元高槻富田の清鶴さんには「百五拾一年目乃お酒」というのがあります。
なんでも、毎年作られるたびに、お酒の名前が一年ずつ足されていくとか。つまり、来年は「百五拾二年目乃お酒」になるのです。一年ずつ歴史を重ねていくことが、感じられるお酒ですね。もちろん、おいしくちょうだいいたしました。
その昔、「紅屋」という大名に匹敵する造り酒屋があったそうです。「紅屋池」はその名残です。
そして、ここ富田から伊丹、池田へと酒づくりが広がっていったとか。
広がりといえば、このブログも投稿する人が固定されているようです。
もっと、広がれば・・・
紅屋池も、現在では、その大半が埋め立てられてしまっていますが、かつては本照寺のそばまで広がっていて、寺院が池に映る美しい姿を眺めることができたそうですよ。