2007年03月06日
阿武山遠望
市街地の景観

高槻市が出版した「高槻百景ーわが町スケッチ(第一集)」のなかに、1981年に市民の方の手によって描かれたスケッチに添えて、「変わりゆく塚原あたり」として、日赤病院の思い出を書き、変わりゆく町とその後を案じておられた。
その26年後の風景を、スケッチに出来るだけ忠実に撮影したのがこの写真です。

辺りは新しい住宅が立ち並び、スケッチされた場所からは、民家が邪魔をして日赤病院も阿武山も見えなかったのですが、日赤病院の池の畔から、かろうじて昔と変わらない阿武山と日赤病院がスケッチ同じツーショットで撮れました。
撮 影 日 平成19年1月10日
撮影場所 阿武野1丁目(高槻赤十字病院)(地図)
投 稿 者 林敏夫
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Posted by 高槻市
at 09:11
│Comments(5)
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昔のスケッチや写真と同じ場所から今の高槻を見てみたら、その変化がよくわかって面白いかもしれません。
1941年に、高槻赤十字病院は、日本赤十字社大阪支部病院分院、「阿武野勝景園」として創立されました。
スケッチは、病院ができて40年後に書かれたようです。
当時、何もなっかった農地に、日赤病院という大きな建物が現れ、周辺が開発され、変わり行く景観への色々な思いが込められているように感じました。
http://www.takatsuki.jrc.or.jp/what/enkaku_main.html
当時は、結核が死因の第一位だし、感染防止の必要性から、街と隔離されたこの場所が選ばれたと聞きます。おそらく周りにはなにもなかったと思います。
また、このスケッチを書かれた方が「変わりく塚原あたり」という文章の中に、「2歳6ヶ月の姪」が二十歳になるころこのあたりはどうなっているのかな?とあります。
その姪もいまは、30歳くらいですよね。この変化をどのように感じておられるのか、ぜひ聞いてみたいと思いました。
写真を撮られるアングルに苦労されているように感じました。
スケッチの風景はかなり立体感があるように描かれていますね。これは強調するものを描く一つの手法なのでしょうね。