2009年03月26日
春の鵜殿
河川・水辺の景観



陽気に誘われて、淀川まで行ってきました。
鵜殿の葦焼きの跡にも春が訪れ、ヒバリやホトトギスの賑やかなさえずりの下で新しい芽が伸びていました。
撮 影 日 2009年3月21日
撮影 場所 鵜殿(地図)
投 稿 者 彗星子
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Posted by 高槻市
at 08:06
│Comments(3)
この記事へのコメント
投稿者:せいろう
昨年の11月25日、「ネイチャーたかつき」の方を講師に歩きました。背の高さの倍ほどのヨシが生い茂り迷路のような鵜殿でした。2月22日のヨシ焼きから丁度1ヶ月、も旺盛な出芽ですね。こうして見ますと広いですねぇ。
ヨシが伸びれば葦雀(よしきり)が来て巣作りが忙しく始まるでしょう。そして多くの動植物が命を育むことでしょう。
高槻の自慢の場所、沢山の方の努力で保たれていると聞きました。ありがたいことです。
2009年03月27日 05:30
投稿者:kimama
記事にあるタグ「鵜殿」からヨシ焼きの風景も見せていただきました。あのボウボウ焼いたあとでちゃんと芽がでてくるのですね。
3月24日の記事、「春みーつけた」の三島江の堤防と鵜殿、つながってるんですね~(当たり前ですが・・・)
ブログ内をあちこち散歩してしまいました(^^)
2009年03月27日 08:09
投稿者:せいろう
”難波潟 みじかき芦の ふしの間も あはでこの世を 過ぐしてよとや”<難波潟の芦の、あの短い節の間のように、ほんのわずかな間でさえ、あなたに逢わずにこの世を過ごせと言われるのかしら>
鵜殿の葦を讃えるとき、いつもこの歌を思い出します。
「伊勢寺」で馴染みの伊勢の作で、新古今集や百人一首で有名なこの歌は、難波潟(大阪市付近の入江)にたくさん生えている芦(葦)は、潮の影響か栄養状態が悪かったのか、節と節の間隔が短いものでありましたので、それを短い時間の形容につかった恋歌ですね。
鵜殿の葦は、桂川・宇治川・木津川を経て運ばれた肥沃な土壌に育まれ、一気に成長しますので、節と節の間は均質な長いものになりました。そのためキレイな葦簀(よしず)ができ、雅楽の篳篥(ひちりき)にも使われたのでしょう。
伊勢は晩年になってから古曽部に住んだと伝えられていますが、歌のような激しい恋をしているころ高槻に住んでいたら、どんな歌になっていたのでしょう?
“鵜殿洲の ながき芦の ふしの間も…” (^^♪
2009年03月28日 11:42
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