2008年08月17日
成合春日神社の虫干し (後編)
歴史が偲ばれる景観
木彫龍神
雨乞い占い用具 木彫蛇型(小)6体
面の数々
木彫蛇型(大)の裏側 太鼓
(保管箱に入っているのは去年入れた樟脳。収納する際、新しい樟脳をたっぷり入れる)
日照が続いた際に、村の長老衆が百灯明をあげ、神前に金龍寺弁財天池の水を供え、神社背後の池に木彫の蛇型を浮かべて、降雨を祈願したのが「雨乞い神事」の始まりだそうです。
残念なことに、この神事は大正9年を最後に行われていませんが、祭具は経典などの古文書とともに神殿に保管され、毎年虫干しし保存されています。
なお、雨乞い祭具一式は昭和49年3月30日に、市の有形民俗文化財に指定されています。
撮 影 日 2008年7月25日
撮影 場所 成合北の町(地図)
投 稿 者 永野晴朗
↓ランキングに参加してます☆是非一日ワンクリックお願いします♪m(__)m

Posted by 高槻市
at 12:07
│Comments(4)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
世間に「春日神社」は多いですが、そんな由来があるのかと思いました。
上方落語に(勿論江戸時代の)大阪近郊農村における「雨乞い」を扱った噺がありますが、春日神社のもきっと似たような感じだったのだろうなと思います。
「富田八景」の記事でも出てきた雨乞いですが、農業で生活していたご先祖様の最大の関心事が何だったかをよく表す事象で、大地と遊離した生活をしている我々に色々考えさせてくれるものなので、積極的に保存し、出来れば神事を復活させるなどして活用していくべき遺産だと思います。
それにしても大正時代になぜ神事をやめてしまったのでしょう。
・神社の合祀によって磐手社の末社になったことと関係している
・生活との関連がなくなったから
・「科学的じゃないよ」などという科学番組見すぎの小学生のような伝統軽視の考えから
など色々ありえますが、地域の方々がご負担をおしてでもやろうと思わなくなった事情を知りたいものです。
(ちなみに日本の6月1日は「気象記念日」、日本で天気予報が初めて発表されたのは、明治17年。そして、ラジオ放送による天気予報の開始が大正14年に開始されたそうです。)
しかし、初めて「雨乞い神事」の祭具をはじめて見ましたが、龍や蛇、そして、お面。。。ほんと感動もんです。
あと、ちなみに雨乞い=龍神信仰ですが、このような雨乞いをするほかにも、こうした龍蛇の姿は、いろんなことで目にします。
村へ悪霊が侵入するのを防いだり、害虫や疫病を村の外に送り出したり、盆に死者の霊を墓地から家まで運んだり・・・・・。
農業生産、そして、人の力ではどうしようもできない自然現象などなど対して、先人の真摯な祈りの気持が感じられます。
人の力、ましてや自分ひとりの力ではなんもできない!っていう当たり前の現実。でも現代人は忘れがち。。。。自分でなんでもできちゃうと思ってしまう。。。。
そういえば、オリンピックで2連覇を達成した選手がいっている、「ひとりじゃできない・・」、「感謝」もいっしょかも?
みんなの力、そして、感謝や祈りっていう気持に達したとき、人間はすごくパワーをだせるのだと思いました。。。
当日は晴天で、いい虫干し日和でした。宮座の方にいろいろ伺いましたが、系統だててのお話は、しろあと歴史館の学芸員の方に伺いたいですね。
農家にとって、水田の水確保は大変なことでした。日本のどこでも水争いの歴史があり、その調停力が城主や領主の器量でもあったようです。
高槻では、「郡家極楽、津之江は地獄、なおも五百住は水地獄」といわれていたそうです。(しろあと歴史館発行「三好長慶の時代」)
私も、子供のころ、朝起きると田圃へ行き、秘かに川上の堰を切って我田引水をしたことでした。
雨乞い神事をしなくなって80年余り経ちましたが、今、地球規模で「水」が心配されています。天からの恵みの雨水を大切にしたいものです。
雨水を一気に川に、海に流さず、蓄え有効に徐々に使う。そこに投資することが、21世紀に生きる我々に課せられていると思います。
高槻弥生が丘に引越しして来てやっとこ5年になりました。
今年初めて春日神社に初もうでに行かせて頂きましてん!
延命のお箸を家族人数分頂きました。
車いすの息子にも温かい目で接して頂き
春日神社が周囲の人々で支えてはるんやと
初めてしりました。
あったかい焚き火おおきにでした!
それにこんなすごい!木彫龍神様があるなんて!
知らなかったです。おおきに!
教えてもらってほんまによかった!
これからも色々勉強したいんで!
よろしゅうお頼もうします。