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2008年05月23日

次郎四郎橋

河川・水辺の景観

次郎四郎橋

鷺打橋の次の橋が次郎四郎橋です。

昭和40年頃に高槻市役所から南に向かって大阪江口橋までつながりました。
芝生の芥川大橋ができるまでは、高槻駅前から唐崎、三島江方面に行くのは次郎四郎橋を通っていきました。
当時は欄干に円い半円形の補強のされた橋で「太鼓橋」の愛称で呼ばれていました。

なんで「次郎四郎橋」って言うんでしょう。

撮 影 日  2006年9月10日
撮影 場所  芝生町1丁目(地図
投 稿 者  中川修一  

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次郎四郎橋



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Posted by 高槻市  at 08:06 │Comments(13)

この記事へのコメント
投稿者:ちーさん
この間からいろいろと橋の画像を拝見
していますが、こんな立派な橋がが多くあるとは気がつきませんでした。
不勉強でした。
2008年05月23日 08:52
投稿者:Sera
私もこの橋の写真を撮りました。何か物語がありそうな名前ですね。
どなたかご存知だったら是非教えていただきたいですね。
2008年05月23日 11:11
投稿者:高槻巡
私もこの橋の名前には前から疑問を持っていました。
太郎と三郎は何もしなかったのか?とか

芥川を北上しての橋紹介楽しみにしております。
2008年05月23日 11:42
投稿者:ふじい
「じろうしろうばし」。名前がとてもユニークで、一度聞いたら忘れられません。
名前は、この付近の字名からきているらしい。
戦時中の鉄不足の折にはコンクリートで作られていたらしい。

まだまだ、興味深いドラマをもっていそうです。

下記のサイトには、昔の次郎四郎橋の写真がのっていますよ。
「http://blog.goo.ne.jp/takatsuki-sjc/m/200512」
2008年05月23日 12:55
投稿者:ふじい
次郎四郎橋について、ヒアリング調査を実行してみました。

調査結果。
昔の地名からきている説が有力です。

この場所は昔、「大字 芝生 小字 治良四郎」 という名前でした。

治良四郎 ⇒ じろうしろう? ⇒ 次郎四郎!!

なんか、すっきりしましたね。
2008年05月23日 15:19
投稿者:Sera
ふじいさん、ありがとうございました。
そう、とてもすっきりしましたが、でも何か物語がほしいですね。
どなたか作っていただけませんか?絵本でも何でも・・・
2008年05月23日 16:51
投稿者:daisukezan
中川さん、こんばんは!
僕はいつも芥川大橋を通ってしまうので次郎四郎橋は初めて見ました。ありがとうございます。
今度散歩のときに渡ってみますね!
2008年05月23日 23:14
投稿者:せいろう
ふじいさん、ありがとうございます。
”治良四郎”という古い地名からきているんですね。

地名は面白いですね。”津之江”だと、昔は入り江になっていて船着場だったろうなと想像できます。
”如是”は「如是我聞」からきているんじゃないかと思いますが、それを地名にするほど仏教が盛んだったんだと想像しています。
”芝生” や ”五百住” にいたっては、名前も読み方も面白い!
”治良四郎”にはどんな由来があるんでしょう?

鷺打橋も地名ですかねぇ。それとも本当に鷺を撃っていたんですかねぇ。何のために鷺を撃つ?射撃訓練?

ふじいさん、ヒアリングしてくれますか? いやいや有能な行政マンの手を煩わしたら市長に叱られます。
町へ行ったとき、閑爺(ひまじい)が図書館を散歩してみます。
2008年05月24日 05:26
投稿者:高槻巡
ヒアリング調査ありがとうございます、ふじいさん
なるほど、地名由来でしたか。変わった地名だとその由来も知りたくなってしまいますね(笑)。

>せいろうさん
近くに流れる川、地図上では「如是川」となっておりますが、天堂橋には「女瀬川」と記されて
いますね。どっちが古くからの名なのかは分かりませんが、由来というのは考え出すと面白い
ものですね。
芝生はかつては「しぼう」で音が悪いので「しぼ」となっていたり、神内も町内の表記に「こうない」
と「じんない」の2種が存在したりで、音が変わっていると言うのも含めて調べるとどんどんと
深みにはまってしまいます。
2008年05月24日 15:16
投稿者:せいろう
昨日、会合の帰りに図書館を散歩してきました。
☆「如是」:“明治22年の町村制施行の際、東五百住、常見寺住職・明朗和上が、この地に流れる女瀬川の名に因んで命名したそうです。女瀬村としたら、女の子ばかり生まれたので、和上に相談して如是と変えてもらったという説もある。” (『ふるさとの風土 高槻』 高槻青年会議所発行より)
どうやら、あの川は昔から女瀬川と呼ばれていたようですね。それを如是としたのがお坊さんというのは納得がいきますし、よくぞ如是にしてくれたという気持ちです。
それにしても、何故、女瀬川だったんでしょう? 女坂・男坂というのがありますので、女瀬川は瀬のゆるやかな川という意味ではないだろうか。女瀬川の水源域は芥川に較べ小さいので、大雨のとき、そこらの芥も流す芥川は「男の瀬」、水量は増えても比較的ゆるく流れるので「女の瀬」と呼んでいたなんて想像します。

☆東五百住・西五百住:“安閑天皇(継体天皇に譲位されて即位。そのとき既に66歳であり、わずか4年で崩御。 安閑天皇の治世の出来事としては、屯倉(みやけ)の大量設置(30ヶ所以上に上る)、それに伴う犬養部の設置が挙げられる。)のとき、皇室領のために、東西五百人の耕作者を置いたことに始まる説と、源融(みなもとのとおる)が屋敷内に作った塩釜のために東西五百人の人夫を置いて、難波の海から潮を汲ませたという説がある。” (上記文献より)
どうやら500人が住んだことからできた地名のようですね。読み方「よすみ」の由来はわかりませんでした。

芝生は、高槻巡さんがおっしゃる通り、「しぼう」とか「しはう」と昔は呼んでいたそうです。「しぼう=死亡」でよくないですよね。
先月、生野銀山へ行ってきましたが、元来は「死野」と呼ばれていたそうです。それを応神天皇が「生野」に改称したそうですよ。

いや~。地名の由来は面白いですねぇ。  しかし年寄りの話は長くていけません(>_<)
2008年05月25日 07:02
投稿者:高槻巡
せいろうさん、ありがとうございます
如是にはそういういきさつがあったのですね、勉強になりました。

五百住ですが、五百は「いほ」とも読みますので「いほ」→「よ」と音が変化したのでは無いかと考えています。
2008年05月25日 11:52
投稿者:せいろう
高槻巡さん、ありがとうございます。
五百を「いほ」と読むとは知りませんでした。おそらく、「いほすみ」が転訛して「よすみ」になったんでしょうね。

大阪で就職するのに布団袋を送った先が「門真(かどま)」、配属先が京都の「蔵王町(ざおうちょう)」、1年後、転勤して住んだ寮が、「富田(とんだ)」の「西五百住(にしよすみ)」、所帯をもった所が「辻子(ずし)」、親への手紙には仮名を振ったものです。

今では、どこも懐かしいく、いいことばかり想い出します。難読地名には愛着が湧きます。
2008年05月25日 16:19
投稿者:高槻っ子
中川さん ありがとうございます。
僕は高槻市在住の中学生ですが、次郎四郎橋の由来は小学生の頃から気になっていました。
これですっきりしました!
2010年07月31日 19:01
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