2007年07月08日
高槻カントリークラブ「高山右近ものがたり館」
農地里山の景観
この高槻CCは昭和51年にオープン。当倶楽部の寺岡龍夫理事長が歴史好きで、「地元の方々や、子供たちに歴史を身近に感じてもらう教材としても利用してもらいたい」ということで、平成4年に建立され一般にも有料で開放されている。
この三層の天守閣は高槻城を描いた江戸時代の絵図を参考にしていおり、高さは13m。、高槻城の当時の規模は詳しくは分かっていないが、実物よりかなり「ミニ版」となっているが、なかなかの威容を誇っている。
ほかに、城門と資料館、右近像もある。右近が千利休の高弟だったことに因み茶室も備えている。
建設費はザッと2億円。私企業である高槻カントリー倶楽部にして、これだけの施設は、単に地元樫田だけではなく高槻市民全体への文化財還元という側面を持ち合わせて誇るべきものであるといえる。
撮 影 日 平成19年7月4日
撮影場所 田能(地図)
投 稿 者 文化財スタッフの会 散策部会
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Posted by 高槻市
at 03:02
│Comments(6)
この記事へのコメント
投稿者:高槻市生活情報ガイド ひらっぺ
地元企業が地元の文化を大切にするって素晴らしいですね。市民と自治体、地元企業が力を合わせて、高槻市の活性化につなげていきたいですね。
2007年07月08日 17:30
投稿者:はやし としお
明日、高槻CCへ行きます。行くたびに、誰が造ったのだろうと思いながら、通ります。
ゴルフ場が造ったのですか。
茶室は本物のようですが、どうなんでしょう。
2007年07月08日 21:23
投稿者:マツサカ
ひらっぺ様コメントありがとうございます。
ひらっぺさんがおっしゃるように、自治体・市民・地元企業が協力できたら、大きな力になると思います。
景観への取り組みも、市民の方だけでなく、企業にも賛同してもらって一緒にやっていけたらと思います。
2007年07月08日 21:31
投稿者:上ひら
ゴルフはできない私ですが、はやしさんと一緒で、通るたびに、「なんなんかな?」と思っていました。というか、実は、「なんかちょっと変わったオーナーさんの(悪)趣味なのかな?」とさえ思っていました。(ほんとにすみません・・・m(__)m)
つくられた人に、「地元の方々や、子供たちに歴史を身近に感じてもらう教材としても利用してもらいたい」という気持ちのこもった施設だったのですね。
つくられた人の想いを知ると、いままで見ていた同じものでも見え方が違ってきます。
いつまでも、樫田、そして高槻の人の心に残る施設であってほしいと思います。
で、はやしさん、あしたはがんばってください!
2007年07月08日 21:45
投稿者:ふくっぴ
歴史好きと言葉が出てきたので、反応してしまいました。私も結構、昔から歴史好きで、特に戦国時代の群雄割拠の時代が好きです。ということは置いときまして、「高槻城」といえば、起源は古く、平安時代の10世紀末の近藤氏によって創築されたと言われていまして、そこから城主は転々とし、慶安2年(1649)に永井直清が入城、以降明治まで子孫相承したということです。その後、明治七年(1874)の鉄道敷設に伴って高槻城は破却されたらしいです。(城石が使われたらしいです。)
このような、歴史を歩んできた高槻城の栄枯盛衰を思うと、学生時代に習った、松尾芭蕉の一句「夏草や兵どもが夢の跡」が頭に浮かんできました。
2007年07月10日 17:49
投稿者:いわけん
先週初めてこの資料館に行きました。入場料は200円で、資料館と茶室、城門があり、係の方が案内して下さいました。見学は年に1、2回位だそうです。高槻の穴場中の穴場だと思います。
茶室は本格的なもので、城門中の倉庫には信長・秀吉像、神に祈る右近像に加えて何故か仏像もありました。
資料館には右近のキリスト教・利休・戦国諸大名との関わりがパネル展示されており、中央には「右近が描いたキリシタン王国・高槻」の大パノラマが展示されていました。この人形は見ものだと思います。
右近が城主だった頃、領民の過半数がキリスト教に改宗したという話を聞いたことがありますが、城主怖さに改宗したのか領民が軽めだったのか不明であるものの、「キリシタン王国」に近い状態があったようです。
独自の資料・史料があるわけではありませんが、人形は見ものです。
2008年10月22日 15:28
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