2009年11月15日
夕暮れの飛行機雲
市街地の景観
夕暮れの空を見ると太い長い飛行機雲が山の果てまで続いておりました。
又、別の方にも細い飛行機雲も見えました。
飛行機雲と言えば先の大戦末期のB-29の飛行機雲(4本)を思い出します。
撮 影 日 2008年11月3日
撮影 場所 安岡寺町2丁目(地図)
投 稿 者 Kei
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Posted by 高槻市
at 05:59
│Comments(3)
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この高槻の空でも飛行機雲はいっぱいでした。初夏の良く晴れた朝、空は見渡す限りの青空、それが飛行機が飛来するたびに航跡ができ、今のジェット時代と違って何時間経っても消えませんでしたね。
青空は、午後には一面の雲に覆われ、青空は見られなくなっていました。そして夕刻には、どんよりとした曇り空になり、西の方から雨が降り始めました。そういう夕刻は,決まって大阪で大空襲があり、町が焼き尽くされた後でした。時には灰になった紙の痕跡が飛来してきました。
浦堂の消防北署の北に小川橋がかかっていますね。その橋の北に監視
哨があり、夜はサーチライトを照らし、空を見張っていました。機関砲や高射砲もあったように思います。
サーチライトに照らし出された敵機の姿がきらっと夜空に浮かび上がるのを鮮明に覚えています。
小川橋の東、元、緑が丘かまぶろのあった位置に爆弾が投下されました。後にも先にもあれほどの轟音を耳にした記憶はありません。
傘をさして見学に行くと、小川橋の北の川底に牛が死んでしました。
爆風で吹き飛ばされたのです。200m以上もです。
空襲警報発令というラジオ放送が出されるたびに、枕元の防空頭巾をかぶり、雨でも雪でも外に飛び出し,防空壕に避難しました。
飛行機雲は、いつも戦争の辛い経験を思い出させるばかりです。
当時まだ5歳だったのですが、、、
以前おなじ、題名で飛行機雲の写真がこのブログにもありました。↓
http://takatsuki.osakazine.net/e91454.html
この方は、30代の女性。。
ちなみに私は場合は、飛行機雲を見ても、あまり湧き上がってくる記憶や感情がないっていうのが、ほんとのところです。
ただ、こうやって、いろんな方のお話をお聞きできると、次から、見方も違ってくるし、別のもんにも見えてきます。
keiさん、sokemukuさん。いいおはなし、ありがとうございました。
実際に空襲に遭ったことはありませんが、あの短い周期で、ウ~ウ~と繰り返すサイレンが何とも不気味で…。
戦争が終わっても、サイレンの音を聞くとドキッとし、心臓が早鐘を打ちました。正午のサイレンでも、消防車のサイレンでも、耳を覆いたくなりました。
気にならなくなったのは、高校を出て大阪に来たころのように思います。
だから、阪神淡路大地震に遭遇した子供が、恐怖から抜け出せない気持ちがよく分かります。