三好芥川城の会

高槻市

2009年12月28日 07:27


 芥川山城のある三好山を北側上空から見る(写真は高槻市提供)

高槻市を見下ろす芥川山城は戦国期 三好長慶が全国に向け号令した城跡です。

高槻が日本の中心で輝いていた時の城跡で、当時の縄張りがそのまま残っており、貴重な遺構です。大切に次の世代に残してほしい城跡です。

三好長慶はキリスト教の布教を公認し、飯盛山下で、たくさんの家臣が洗礼を受けています。高山右近父子も洗礼を受けてます。

芥川山城跡の整備、戦国三好氏を研究している「三好芥川城の会」の活動の一部を紹介します。


 ↑霊松寺 三好義興の墓 

天文22年(1553年)から永禄3年(1560年)三好長慶が芥川山城に居て畿内を治める。
長慶は飯盛山に移り嫡男義興が高槻に残る。高槻が日本の中心だった。
三好長慶の案内板を「三好芥川城の会」が設置。


 ↑大徳寺聚光院長慶墓 

長慶の菩提寺 狩野永徳24歳の時描いた襖絵は国宝。長慶の墓は千利休の墓と並んでいる。


 ↑大徳寺聚光院記念写真 

高槻で三好山の整備、三好長慶の事跡を研究している「三好芥川城の会」の皆さん


 ↑高槻祭りに参加    

武者行列で毎年高槻祭りに参加。今年は三好山の校区の清水小学校生徒も参加しました。

撮 影 日  2009年12月3日
撮影 場所  芥川山城:原ほか(地図
         霊松寺三好義興の墓:天神町2丁目(地図
         大徳寺聚光院三好長慶の墓:京都市北区紫野大徳寺町(地図
投 稿 者  三好兼光

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