2007年04月11日
服部連塚
歴史が偲ばれる景観
「服部連塚」は、人家の間の細い路地を入ったところにあり、周囲は民家に囲まれてしまっていますが、ここは、機織りを生業とした人々を統率していた服部連のお墓と伝えられています。
また、それほど大きくはありませんが、丘のように土が盛り上がっていて、円墳であることがわかります。
服部あたりに古くから、織部たちが居住していたことを偲ばせる貴重な資産だと思います。
撮 影 日 平成19年3月
撮影場所 塚脇1丁目(地図)
投 稿 者 文化財スタッフの会 散策部会
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Posted by 高槻市
at 09:26
│Comments(7)
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住宅地を歩いていると、突然強烈なインパクトをもってあらわれます。
異空間に遭遇したような気分になります。
連塚の敷地ぎりぎりまで、民家の壁が迫っていました。
でもここは、写真にあるように、きちんと入り口が作られていて、由来を記した立て札もあって、連塚そのものは大事に守られているのかなと思いました。
お問い合わせの件、近所でご存知の方に聞いてみたのですが、その方は知りませんでした。(また、その方のご友人の方にもお聞きしている途中です)
あと、もう少しお調べになりたい内容や目的など教えていただければ、そういった方にもお聞きしやすいので、できれば、左サイドバーの「おーなーへのメッセージ」でも結構ですし、ここでも結構ですので、○○なので、その場所を知りたい!とか、事件の経緯を○○なので知りたい!とかを、教えていただけませんでしょうか?
お返事ありがとうございました。
別に深い理由がある訳では御座いませんが
あの事故は私にもかなりショックを受けました。
ただの火事ではなく理由が理由だけに
痛ましく思いました。
あの塚を見ると真っ先にその記憶が
頭に浮かんできます。
目的などは全くありません。
事件の経緯等も知りたくはありません。
人其々、ですから個人の情報などには
興味はありません。
大雑把な事件の内容は当時、新聞で
見ましたので知っています。
只、現在あそこはどうなっているのだろう?
と言う思いだけで御座います。
もう35年程前の事ですからかなり古い方で
ないと御存知ではないかと思います。
唯徳寺の住職の当麻さんなら御存知では
ないでしょうか?(今でも居られるか分かりませんが)
真前の家に住んで居られた私の馴染みの方で
荒木さんと言う方が居られましたが
その方も何年も前に引っ越しておられますし
もう其方の事は全く分かりません。
私は何の意図もありません。
ただ、あの場所がどうなっているのか
と思った次第であります。
自分で行けばいいのですが、如何せん現在は
遠く離れた地に居りますし世話が必要な
妻も居りますので簡単にこの地を離れられません。
深い意味は御座いませんので悪しからず
宜しく願います。
お返事ありがとうございました。kunさんの思い!オッケーです。今日、地元の方に会う機会があるので、ご趣旨に沿うように聞いてきます。
また、近くの写真については、土日に近くによるので撮っておくりますね。
また、kunさんがおっしゃるように、このあたりは、歴史・自然遺産が豊富なところで、この「ええとこブログ」にもいままでたくさんの投稿があります。
特に、この「服部連塚」は「服部」の地名の由来ともなった、服の職人「=服部連(はっとりむらじ)」ですし、塚脇の古墳群に高槻の寒天発祥の地でもあります(聞力寺に宮田半平の顕彰碑があります)。
上の並んでいるボタンの「地図から探す」をクリックして、ぜひ、このあたりの「ええとこ」に触れてくださいね。また、今どうなっているのだろう?ということであれば、できる範囲ですが、ご要望にお応えしたいと思っていますので、今後も「高槻のええとこブログ」よろしくお願いいたします。m(_ _)m
お返事ありがとうございました。
御忙しい中、私の勝手な好奇心の為に
誠にすみません。
いつでも構いませんので宜しくお願いします。
なんなら直接、私のアドレスに返事を下さっても
結構です。
単なる個人の好奇心の返事をこのような
公のブログをお借りするのもどうかと
思いますので・・・
私はどっちでもいいですので其の辺は
オーナー様の御判断に委ねます。