2007年02月11日
城山(田能城跡)
歴史が偲ばれる景観
樫田地区は、高槻の最北端に位置し、田能盆地を中心に、周りを山々に囲まれたところです。
そしてその山裾に、樫田の町を見守るように位置する「桂香寺」の裏山は、「城山」と呼ばれ、昔「田能城」があったといわれるところです。
城といっても、立派な城郭があったのではなく、亀山城主であった明智光秀が、亀山と畿内の間に、のろしを上げる場所として使った「砦」のようなものがあったと考えられています。
畿内と亀山を結ぶ重要な拠点であった樫田盆地。見通しのいいこの場所は、畿内と亀岡をつなぐ重要な役割を果たしていたのです。
●散策部会 遺跡散策資料
○樫田地区地理的・歴史的環境
○樫田村当時の状況
○「北摂ロマン」の中の樫田
撮 影 日 平成19年2月7日
撮影場所 田能(地図)
投 稿 者 文化財スタッフの会 散策部会
↓ランキングに参加してます☆今何位か見て下さいね♪
この記事へのトラックバックURL
http://takatsuki.osakazine.net/t25931


















大阪ブログポータル オオサカジン








コメントを寄せていただいてありがとうございます。
私も、このブログを通じて、知らなかった高槻のええところをたくさん教えてもらいました。
このブログで、自分が暮らす街に目を向けるきっかけにもなったらいいなと思います。
また、コメントをお待ちしています。
そこは、桜島が見えてすごく眺望もGOODです。
http://www.yado.co.jp/kankou/kagosima/kagosi/siroyama/siroyama.htm
この記事をみて、高槻にも「城山」があることをはじめて知りました。
この「城山」の上から、一度樫田の町を眺めてみたいです。
私も前から田能城跡は興味をもつており一度訪ねたいと思つて居りました。同じ思いのひとがいるものだと実感しました。
先日、このブログの(森林追憶)に惹かれ探検しましたが、時間つぶしに 、田能へ出ました。 バス停の小母さんに聞くと、(平家の落人の城と聞いております)また城跡調査によく見えますよ、とのことでした。私も一度登城しようと思つてます。
○○城山という名前を入れるともっと多くなるそうですよ。ちなみに、2位は「丸山」で187、3位は「愛宕山」で121です。
やはり「お城があった山」ということでつけられることが多かったのでしょうか。
もともと京都府だったところです。
今は、高槻になってくれてて、おかげで身近に自然を感じさせてくれるところとなっていて嬉しい限りです。
都道府県を越えた合併は例も少なく、平成の大合併でも1例しかなかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E7%9C%8C%E5%90%88%E4%BD%B5
昭和33年(1958)に樫田村が合併して、来年が50周年になります。
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/db/toshikeikaku/db3-toshi-shikihensen.html
当時から樫田をご存知な方はこの50年をどう感じてらっしゃるのでしょうか?
お話を伺えたらなぁ~と思いました。
ところで、なぜ樫田村は高槻市と合併したのでしょうか?パーソントリップ調査{人(パーソン)がどこからどこに行ったかの動き(トリップ)を調査するもの}をして京都に行く人より、高槻に来る人のほうが多かったのですかね?
森田さんがおっしゃっておられたように、この樫田は、源平合戦に敗れた平家のムラという言い伝えがあるようです。
http://takatsuki.osakazine.net/usr/takatsuki/kasida-roman.jpg
この資料は、文化財スタッフの方にいただきました。ぜひご参考にしていただければうれしいです。