2008年09月05日
清福寺の太子堂
寺社の景観
阿久刀神社近くの住宅地に大工の神様・聖徳太子をお祭りした太子堂があります。
江戸時代、清福寺には「摂津十組大工」の一つ「清福寺組」という大工集団があり、御所や幕府関係の建築作事をしていたそうです。貞享4(1687)年には52人、明和2(1765)年には29人の大工がいましたが、幕府とともに消滅したそうです。
聖徳太子は寺院を建立するに当たって、先進地の朝鮮半島から「指金(さしがね)」を導入したことから大工さんの神様とされたとの言い伝えがあるそうです。仏教を導入することと寺院建築を導入することは一体だったということのようです。
交通幹線である西国街道の芥川宿近くに威勢のいい大工さんの集団が陣取り、仕事に出かけていくといった情景がほんの百数十年ほど前の高槻にあったということはなかなか想像できません。
撮 影 日 2008年8月13日
撮影 場所 清福寺町(清福寺太子堂)(地図)
投 稿 者 岩崎健一郎
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今のコストと機能優先の建築では、見ることのできないロマンみたいなものを感じます。
私のおじいちゃんは、大工さんで、家を建ててる姿は、なかなかの物でした。子どもの頃の夢は、もちろん大工さんでした。
2000年に子どものなりたい職業に3位にランクインした程、子どもにとっての憧れの職業ですが、現実には、1980年の約94万人から2000年の約67万人と減少傾向にあるそうです。
そのような中、次代を担う大工職人育成を目的に、大工育成塾なんてものが登場しています。
http://www.hic.or.jp/daiku/outline/index.html
場所も、ここだと西国街道沿道ですし、芥川も近いので、船での移動もできます。ここから、威勢のいい大工さんがいろんな現場にでかけていったのですね。ほんまに「ナイス街(Nice guy)」もいた高槻だったのですね。
あと、高槻の職人組織ですと、服部の「織部」が有名ですよね。「服部」の地名の由来にもなっていて、全国の織部を統率した服部連の墓(服部連塚)もあります。
http://takatsuki.osakazine.net/e30245.html
そして、清福寺が大工集団の土地であったことも初めて知りました。
高槻は、古代・中世・近世、どの年代にも足跡のある土地ですね。
建築家もかっこいいですが、大工さんも粋な感じでいいですよね。このお堂や町家といった日本の伝統的な建築には、現代の機能的なコンクリートとガラスの箱とは次元の違う美しさがあると思います。
そう言えば、芥川宿の町家も清福寺の大工さんが作ったと高槻市発行物『高槻の民家と町並』で読んだ憶えがあります。(曖昧ですみません。今度確認します)