2008年07月20日
樫田のええとこを訪ねて② 樫船神社
寺社の景観
樫田の水瓶である奥谷池
樫船神社は、田能盆地の一番北の奥、明神岳の中腹にあります。
神様の田んぼ「御供田」
お社に至る道には、稲作に必要な水を供給する奥谷(おくんたに)池と、お米を祭事に供する「御供田(ごくでん)」があり、そこからは田能盆地を望めます(伝統的な農村風景の中にド派手な色彩の建物が見えるのは違和感がありますが…)。
奥谷池のような池としては他に清水条(しみんじょ)池、伊安条(いあんじょ)池、下条(しもんじょ)池があるそうです。
神楽の舞台
池を過ぎて少し山を登ると、お社が見えてきます。
田能の総鎮守である樫船神社は、鎌倉時代の初めに僧の指導で村人が造営し、江戸時代に数度の改修を経たもので、国づくりの神様である大己貴命(大国様)と土地の神様である大山喰命(樫船明神)を祭っています。
樫船神社本殿
大昔、亀岡盆地が湖だった頃、大国様と樫船明神や亀岡の鍬山明神などが協力して保津峡を切り開いて水を排出し、肥沃な平野を作り出し、丹波(たにわ=田んぼのあるところ)の国を作ったとされています。
四国の金毘羅山とも関係があるらしく、境内に遥拝所があるそうです。やはり船の縁でしょうか。太古の昔の国づくりの様を今に伝える、高槻一級の「ええとこ」ですね。
御供田は、氏子の中で20歳になった男二人で田植えを行い、それを合図に村中が田植えを始めていたそうです。
昔は氏子全体で協力して祭事を行ってきたそうですが、そういったしきたりも今は崩れてきて、地区の方のご負担は重くなっているそうです。樫田の方々のご苦労があって、一級の文化財が維持されているという、考えてみれば当然のことも、今回お話を伺って初めて知りました。
撮 影 日 2008年6月22日
撮影 場所 田能(地図)
投 稿 者 いわけん+ええとこブログ樫田取材チーム
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2008年07月20日
樫田のええとこを訪ねて① 樫田地区の概要
農地里山の景観
明智光秀の時代に、亀山と畿内を通信する狼煙を上げたという城山
6月22日、ええとこブログ取材班は樫田地区を訪ねました。
雨の降ったりやんだりする生憎の天気でしたが、文化財スタッフの方をはじめ、樫田の方々からたくさんのお話を伺うことができました。
樫田は、昔の国名で言えば、高槻市の大半が含まれる「摂津国」ではなく「丹波国」に含まれます。
中世には皇室関係の荘園であり、江戸時代には亀山藩に属するなど、高槻市の他の地域とは違った歴史を歩んできました。
樫田の昔ながらの民家(丹波様式)
住宅の造りも、「丹波様式」といって、高槻の南の方の民家とは違うそうです。南の方の民家は田の字型の間取りですが、樫田の民家は冬の厳しい生活に備えて特に台所を広く取っているそうです(高槻市教育委員会『高槻の民家と町並』による)。
明治22年に田能村・中畑村・出灰村・杉生村が合併して京都府南桑田郡樫田村になりましたが、昭和26年・28年の大豪雨をきっかけに、主に経済的な理由から、昭和33年に高槻市に越境合併して今日に至っています。
これから、「樫田のええとこ」をご紹介します。
撮 影 日 2008年6月22日
撮影 場所 樫田(地図)
投 稿 者 いわけん+ええとこブログ樫田取材チーム
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